俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.014
いよいよ!スパルタニック初のコンテスト!!
日が落ちてくるといよいよメインイベントである、B-Boy Battleが始まった。バトルの方法は、前述したとおり、まず全チームがダンスパフォーマンスを行ってジャッジがBest 4を選出し、下位2チームが3位決定戦を、上位2チームが優勝決定戦を行うというものである。要するに、最初のショーケースで上位2チームに入れなければその時点で優勝はできない訳だ。今から考えると全く無謀だったかも知れないが俺は最初から優勝を狙っていた。
このコンテストはインターナショナルコンテストで、ヨーロッパ各国から様々なチームが参加していた。ヨーロッパのB-Boy達は、発祥の地アメリカや、日本がBreakin’冬の時代を過ごしている間もずっとそのスキルをみがき続けてきただけに、そのレベルの高さは並々ならぬものがあった。ただひとつ、彼らに欠けているものがあるとすれば、それはダンスフィーリングだった。 この時代、ごく一部のB-Boyをのぞいて、ヨーロッパでは「ダンス」に関する知識や関心が薄すぎた。裏をかえせば、それがゆえにパワームーヴのテクニックがあそこまで進化したのかも知れない。今から思えば、彼らはダンスを軽視していた訳ではなく、そのやり方がよく分からなかったのだと思う。
いずれにせよBreakin’がダンスである以上、この視点がとても重要だという事は言わずもがなだ。ブレイクにダンスの要素、ショーの要素を強く打ち出せば、その良さはヨーロッパのB-Boy達にも必ず伝わると俺は確信していた。
そこで俺はそこに最大の焦点を、そして勝点(勝つためのポイント)を置いていたし、また自信もあった。
そして、日本人メンバーを選ぶ時もこの視点から選出を行った。
これは簡単にまとめると以下の様な項目になる。
①ブレイクをダンスとしてとらえる視点があるとういこと
②ブレイク以外の立ち踊りが出来るという事。
佐久間さんはもちろん、ツヨシもたち踊りの経験はあり、苦手とは言いつつも、その素地はあった。要するに、自分の作戦とは、当時ヨーロッパになかった、緻密なショーや立ち踊りの要素を組み込んで、独自の路線で勝利を収めるというやり方であった。
しかし、後から話しを聞いてみると、ツヨシも佐久間さんも全く勝てる気がしなかったらしい。他のチ-ムのショーがはじまると、そのスキルの高さにド肝を抜かれてしまったからだ。例えばスイスのホゼというB-Boyは、片手クリケットでまわりながらシャツを脱いでいったり、同じくスイスのナイスキッドというB-Boyは、Head Spinをしながら傘をさしたり閉じたりと、日本では考えられないような芸当をやってのけていた。
*B-Boy Nice Kid(Swiss) 96年でこのスキルの高さに注目!
ツヨシは想像を越えたあまりのレベルの高さに完全に圧倒され、佐久間さんはあきれて「こいつらバカチンやね」を連発していた。確かに彼らの動きはバカみたいにすごく、完全に俺達の常識を凌駕していたと言えよう。しかしその動きのひとつひとつが、どれも曲芸チックでダンス的要素が薄い。俺の確信はさらに深まっていったが、逆に他のメンバーの自信はどんどん揺らいでいったようだ。
そしていよいよ俺達の出番である。たった3日間で作りあげたショーでどこまで行けるのか?しかし俺達のショーは、他のどのチームにも無い、オリジナルなものだった。現在のスパルタニックの複雑で高度なルーティーンや、よりヒップホップテイストを意識した踊りに比べれば遥かに幼稚で、とってつけたような内容だったが、そこには俺が考え抜いた、勝つための工ッセンスが全て盛り込まれていた。
その要素とは、
1.チ-ム全体でのルーティーン
2.複数人での組み技
3.Poppin’、Lockin’等の立ち踊り
である。この要真は日本にスパルタニックロッカーズを作る時からの構想であり、日本のメンバーをつのる時はそれを考慮して行った。さらに現在もその基本方針は変わっていない。Breakin’が踊りである以上、そして自分が全てのストリートダンスを愛しているが故に考えたコンセプトである。
それがどのように評価されるのかが非常に楽しみだった。
いよいよショーの始まりである。最初ちょっとした演出からトップロックのルーティーン、そして俺とツヨシのからみのあるルーティーンヘとつながっていく。既にあったまった会場は、観客の反応もいい感じだ。そしてショーの流れは俺とツヨシの最初の組技へと移っていく。スワイプスを空中でキャッチし、投げたら工アームーヴフリーズ!この流れが決まり、会場はますます盛りあがる。いくつかのトップロックの合わせの後、今度は立ちのルーティーンである。スイスのメンバーは今だかつてー度もPoppin’やLockin’などの立ちのダンスを経験した事がない。そのため、今回立ちのルーティーンは日本人だけで行う
いよいよそのパートに差し掛かる。ポップのルーティーンからロックへ移行していく流れ。佐久間さんはともかくも、俺もツヨシもロックダンスのスキルがそれほどあるわけではない。ヨーロッパに当時どれだけロックやポップを理解していたダンサーがいたかは定かではないが、その当時B-Boyのコンテストでそれを踊っている連中は、その踊りの何たるかと言う事をあまり理解しないでやっていた。彼らから見れば俺たちが踊る、スキーターやスクービードゥなどのごく基本的なステップが相当高いスキルに見えたに違いない。踊りながらふと舞台ソデを見ると、参加している他のB-Boy達が首を横に振りながら”Woooow…”と感嘆の声を上げているのが見えた。作戦の効果は想像以上だった。いくつかのミスはあったものの、俺は確実な手ごたえを胸にショーを終わらせる事となった。
果たして、日本・スイス合同のスパルタニックロッカーズ、初めて作ったこのショーで決勝進出なるのか・・・
このショーケースの動画解説と、動画をアップしました!
以下番外編 Vol.001でお楽しみください!
End of The Spartanic Rockers Story Vol.014
To be continued
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