俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.013
日本とスイスのすれ違い・・・
Spartanic Rockers の創始者、DEF ICE からオリジナル楽曲を提供してもらい、いよいよ翌日からコンテストに向けての練習が始まった。曲は我々が日本から準備してきたHIP HOP の定番曲「クリエイター」の他、LOCKERSがSOUL TRAIN で使用していた「Disco Connection」、そしてアイスの作ってくれたオリジナルミュージックの3つを組み合わせることになった。 タイムリミットは3日間しかない。スイス、日本のメンバー混合での手探りが始まった。
さて、今回のバトルイベントでは、まず参加各チーム全てが自分たちのショーケースパフォーマンスを見せなければならない。そのパフォーマンスの中でジャッジが実力を吟味し、Best 4を選出する。選ばれた4チームの中で下位2チームが3位決定戦を、上位2チームが優勝決定戦を行うという流れである。
要するに、最初のショーケースで上位2チームに入れなければその時点で優勝はできない。このコンテストにおいてはそれだけショーパフォーマンスが重要だということだ。
日本ではちょっと珍しいこのコンテストのスタイルは当時のヨーロッパではむしろ一般的なやり方であった。
練習場所はSpartanicがいつも使っているという公共施設の他、時間が無いためにレミーの家のガレージでも行われた。ガレージでの話し合いの中でショーの構成を考え始めると、すぐに日本とスイスの意見の食い違いが出始めた。日本人メンバーは多かれ少なかれ立ち踊りも全員経験してきているし、チームでのルーティーン(振付)の面白さを知っている。ショーを退屈なものにしないため、見ていて飽きないルーティーンを入れつつ、ソロを少しずつ入れていけばいいというのが基本的なショー構成の考え方である。しかし、スイスのメンバーはルーティーンはもういらないと言い張る。逆にルーティーンは退屈だというのだ。
今でこそBOTYをはじめ、UK CHAMPIONSHIPや様々なB-BoyのCrew Battle においてチームのルーティーンは当たり前で、逆にルーティーンが無ければ勝てないような状況になっている。この流れは我々日本のSpartanic Rockersが作ったといっても過言ではない。現在はそれだけヨーロッパをはじめ各国のB-Boy達はチームでのルーティーンの面白さや、立ち踊りを含めたダンスの重要性を認識してきたと言える。
しかし、我々日本人を含めたSpartanic Rockers がまだ世界のバトルシーンで活動をしていなかった当時、ヨーロッパのB-Boyのショーケースはほとんどソロの連続でしかなかった。ちょっとした構成がある場合は、ダンスのルーティーンではなく、芝居のようなやりとりで行われるケースが多かった。立ち踊りに関しては、Lockin’(ロック)、Poppin’(ポップ)が入るケースがあったが、そのスキルはB-Boyのパワームーヴのスキルと逆に、かなりレベルが低いものであった。
そんなヨーロッパB-Boyingの土壌の中で育ってきたスイスのメンバー、Monty(モンティ)とRemy(レミィ)の意見は仕方なかったのかもしれない。彼らにはルーティーンを考えたり、覚えたりする習慣はゼロではないにしろ、ほとんど無かったのである。
さて、スイスのメンバーと日本人のメンバーの間の会話は全て英語で行われる。言葉がわからないツヨシはただでさえイライラしているのに、「ルーティーンは退屈だ」といってアクビをする真似をしたスイスのメンバーに頭に来て怒っていたが、これも文化の違いのなせる業なのであろう。
結局我々は地元ヨーロッパに住むスイスメンバーの意見を尊重し、ルーティーンを当初の予定よりかなり削った形でコンテストに挑むこととなった。
いよいよコンテスト当日を迎えた。会場はRote Fabrik(ローテ・ファブリック=英語にするとレッドファクトリー)と呼ばれる工場の跡地。
チューリッヒの中心にある細長い湖、チューリッヒ湖のほとりに位置している。
イベントでは、そこにあるいくつかの建物、そして部屋に分かれて様々な観点からヒップホップカルチャーの紹介をしていた。
ある部屋ではスプレーによるグラフティアートを実演展示していたり、また別の部屋ではスイスのB-Boy シーンを伝えるためのパネルディスカッションが行われていたりしていた。ディスカッションではパネラーとして、我がSpartanicのDef IceとMontyが参加していた。
正直言うと彼らがそれほどスイスのB-Boyシーンの中で重要な役割をしている事をその時はじめて知ったので、少し驚いた。
これも後から知った事だが、Def Iceはスイスでも最も最初にBreakin’を始めた人物であり、MontyはかつてのヨーロッパB-Boy選手権のソロチャンピオン、前にも紹介したが、まだ話には登場していないメンバーのZed(ゼッド)はスイスチャンピョンシップのチャンピオンであった。ディスカッションではスイスにB-Boy Cultureが入って来た経緯や歴史などが紹介されていた。この国もやはり映画、フラッシュダンスが全てのはじまりだったようだ。そう考えると、世界のB-Boyシーンにこの映画のもたらした影響は計り知れない。ちなみにディスカッションはほぼドイツ語で行われていたため、いちいちRemyに英語に訳してもらわないと何を言っているのかはさっぱり分からなかったが・・・。
こうしてイベントは進んでいった。
いよいよ夕方からは我々が参加するB-Boy Crew Battle が開催される!
End of The Spartanic Rockers Story Vol.013
To be continued
Spartanic Rockers Story 最初のページ
Spartanic Rockers Story 一つ前のぺージ
Spartanic Rockers Story 一つ後のぺージ