はじまり Spartanic Rockers Story Vol.001

■はじめに

今年(2018年)に自分は50歳という節目の年を迎えました。

子供のころから考えると、想像もつかなかった年齢に達してしまった。
小さいときの感覚を思い出すと、20代も既に大人で、50代なんてもうお爺さんの領域であった。
そんな、オジイの領域に足を踏み入れても、未だに幼稚で大人になり切れない私ではあるが、この区切りの歳にいくつかやっておきたい事がある。

その、やろうとしてやってこなかった事の1つが今ここに書き記している内容。
自分と自分のダンスチーム、Spartanic Rockers(スパルタニックロッカーズ) の激しくも濃いー活動の記録である。
これは昔トライしましたが、途中まで書いててそのまま15年以上放置してしまったものです。それをこのタイミングで再編し、公開したいと思います。
どうか最後まで(どこが最後か分からないけど)書き終われますように自分に対して祈ります(笑)。

我々は人が経験しないような多くの事をSpartanic Rockers で経験してきました。
笑ってしまうバカな話から、涙なくしては語れない事まで、そんな自分とSpartanic Rockersの活動の記録です。
皆様お気軽にお付き合いいただければ幸いです。

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さて、今や若手ダンサーでは知らない人も多くなってきたと思います。
我々のチーム、”Spartanic Rockers”。
1998年にUK B-BOY CHAMPIONSHIPS でアジア人として初の世界大会制覇。
同年Battle of The Year にて同じく初のBEST SHOW を受賞。
B-Boyの世界に今までなかった様々なコンセプトを提案し、実施することで、世界的に注目を集めました。
今でも我々は年に数回程度ダンスショーを行うなど活動をしていますが、この98年前後数年間は、まさに駆け抜けるように時間を過ごしてきました。
このストーリの中で、そんな我々の駆け足の記録と記憶、Spartanic Story の一部を皆さんにご紹介させていただきたいと思います。

実は我々”Spartanic Rockers”の世界を股に架けた長い旅は、全て一通のメールから始まりました。 それは1997年の事でした。

「へー、スイスにもBreakin’のチームなんかあるんだ」
・・・ これが自分の最初の感想だった。
大学卒業後、某コンピュータのソフト開発会社に就職していた自分(宮田健男 aka Takeo)は当時社内に敷設されたばかりのインターネット環境からネットサーフィンをしていた際、偶然にも スイスのブレイキングのグループ、スパルタニックロッカーズのホームページを見つけた。
この当時インターネットはまだ日本での普及はおぼつかない状況で、接続するには電話のアナログ回線(ぴー、ががががー)しか方法が無く、現代の光回線やwifiなどは存在すらしていない時代である。自分がインターネットに早くから接することが出来たのは、勤務先がソフトの会社であり、業種的にネット環境を早く整備しないといけない状況にあったからであった。その意味では今から考えるとラッキーな環境だったと言える。

さて、1983年、高校時代からポッピンやブレイキングに魅せられてダンスをはじめた俺は、就職後もブレイキングを中心に活動を続けていた。そんな俺が昼休みの時間に何気ない気持ちで見つけ たのがこの、Spartanic Rockers のページだった。
当時、ヨーロッパにブレイキングシーンがあることは良く知っているつもりであったが、それはイギリス、フランス、ドイツ、ハンガリー、イタリア等であり、俺の知識の中には「スイス」という国名は全く無かった(後々知ることではある が、それはとんでもない無知の表れだったのであるが・・・・)。 意外に思った俺はこのサイトの管理者宛に一通の メールを出す。 内容は、
「Whats’s Up!俺は日本のB-BoyでTakeoっていうんだ。スイスのB-Boyシーンはどうなんだい?」・・・・と言うようなたわいもないものだった。

今から考えれば、この一通のメールから全てが始まった。
正に世界への扉が開かれた瞬間だったのだ。

しかしこの時は自分もそんなことには全く気づいてはいなかった。

End of The Spartanic Rockers Story Vol.1

To be continued


突然のニューヨーク! Spartanic Rockers Story Vol.002