Battle of The Yearに出よう! Spartanic Rockers Story Vol.006

俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.6

「Battle of The Yearに出よう!」


その頃から俺とレミーの間でBattle of The Year(以下BOTY)の話題がたびたび交わされるようになった。

Remy (Spartanic Rockers)

1990年に産声を上げたこの大会は、当初ドイツローカルの大会として企画されたものであったが、陸続きという土地がらも手伝ってか、次第に参加国が増え、結果的に世界最多の参加国を集める大規模な大会へと成長したものだ。この大会で行われるバトルは毎年壮絶を極め、世界各国のB-BOY達の技術の高さには圧倒されるものがある。

ヨーロッパでは既に認知されているこの大会、既に各国で予選大会も行われていたが、もちろん当時の日本では予選もなく、またかつてこの大会で勝利を目指した者も無かったであろう。日本人にとって「BOTY」はそれだけ遠い存在であり、知っている人も非常に少ない大会であった。

俺が始めてこの大会の存在を知ったのは93年。当時エアフォースクルー(アメリカ、L.A.のブレキンクルー。シーザーは当時としては驚くべきスピン技を披露し、日本に再びBreakin’ブームを復活させる立役者となった。)の来日とともに日本に入ってきたビデオで見たのが最初だった。

*Air Force Crew

*関連記事:Air Force Crew

内容はいまだに語り継がれる壮絶なバトル。92年のBOTY決勝の模様である。対戦カードはドイツのBattle Squad(バトルスカッド)対 イギリスのSecond To None(セカンドトゥノン)。Second To Noneにはイタリアの有名なB-Boyである、マウリティオも加わっていた。当時進化を止めていた日本のBreakin’界にとってこのビデオは衝撃的な内容だった。
(関連記事:Second to None

*Boty 92 Final Battle

Battle Squad v.s.Second To None

余談ではあるがこの時のバトル、Battle SquadはStormとSwiftのたった2名でバトルに参加。9人で対するSecond To None に勝利するという奇跡をやってのけた伝説のバトルである。(何故2人だけでバトルに参戦したストーリーは別途、Battle Squad についてまとめた記事をアップします。)
(*関連記事:STORMインタビュー

その後さらに俺を驚かせたのは95年のバトルだった。このバトルも今までのBreakin’の概念を根底から崩されるような衝撃的なものがあった。ハンガリーのEnemy Squad(エネミィスカッド)対フランスのFamily(ファミリィ)の対戦である。見たことも無い技や高度なテクニック(ボムの連続はこの時始めて知った)、オリジナリティ溢れるスタイル、そして何よりも、B-Boy達の 熱い気持ちとパワーに圧倒された。

*Boty 95 Final Battle

Enemy Squad v.s. Family

80年代にアメリカを起点に世界に一大ムーヴメントを巻き起こしたブレイクダンスブームは、80年代後半には沈静化。特に新しいものが正義というような傾向があるアメリカでは「古いもの=ダサいもの」として扱われていた。アメリカのカルチャーに強く影響を受ける日本もまた同様の流れをみせる。日本やアメリカで冬の時代を迎えたブレイクダンスは、ヨーロッパでなんとか生き永らえたのではなく、独自の進化を果たしていた。特にパワームーヴに関しては、様々な驚きの進化を見せている。しかし、インターネットが普及していない時代、このような動画や情報が日本に入ってくることは非常にまれだったのである。また、世界的にはネットは確かにスタートしていたが、現在のようにYOUTUBEのような動画サイトがあったわけではなく、そもそも動画をアップロードする環境も方法もなく、個人の通信は全て電話回線で、動画のような膨大なデータをやり取りすること自体が不可能であった。

恐らく、レミーにとってBOTYはもっと近い存在であったに違いない。現に97年にはスイスの老舗クルーであるCRAZY FORCE CREW(クレイジーフォースクルー)と合同でショーを行っている。(ただし、この時は初めからコンテストにはエントリーしていなかった。)しかしながら、スイスのスパルタニックもメンバー不足(当時現役で活動していたのはレミーとモンティの2人だけだった)等の理由からこの大会へのエントリーを真剣に考えることはなかったようだ。

スパルタニックロッカーズに入った俺は、チームとして何か大きな活動がしたいと思いはじめていたため、当時の日本人としてはとんでもない考えである、この「BOTYでの優勝」を目標にしたいと思い立ったのである。

この話を持ちかけたところレミーも乗ってきて、2人の間ではすぐにエントリーしようじゃないかという意見でまとまった。時は97年の10月末頃であっ た。

ここで俺は考えた。BOTYに出るからにはこの大きな大会で何とか日本人の実力を示したい。これを目標に日本のスパルタニックの活動を本格化しよう!


End of The Spartanic Rockers Story Vol.6

To be continued


Spartanic Rockers Story 最初のページ

はじまり Spartanic Rockers Story Vol.001

Spartanic Rockers Story 一つ前のぺージ

誕生 Spartanic Rockers in Japan !! Spartanic Rockers Story Vol.005

Spartanic Rockers Story 一つ前のぺージ

日本人メンバー 2番目の男 Spartanic Rockers Story Vol.007