日本人メンバー7番目の男 Spartanic Rockers Story Vol.066

1997年に日本では俺がたった一人スタートしたSpartanic Rockers。
様々な事件を経て、チームを去るもの、そして改めて加わるものがいるなか、暦は2000年を迎えていた。
2000年を迎えた当時は、俺(TAKEO)、ツヨシ、佐久間さん、TOMOという4人チームであった。
俺は、むやみやたらにメ ンバーを増やす気持ちはなかったので、当面このメンツでの活動を続けていけばいいと考えていた。

そんななか、この話はかなり唐突にスタートした。

ある日佐久間さんが俺に話があると言ってきた。
その内容は、「新しいメンバーとして入れたい奴がいる」という話だった。

これは結構唐突(笑)
それが7番目の日本人メンバーとなる男、”BAY”の事であった。

俺がBAY に初めて会ったのは大阪。アドヒップが主催するOLD SCHOOL NIGHTというイベントに、自分がジャッジとして参加している時であった。BAYはこのイベントの3ON3 BATTLE に参加していたのである。

その時はまだBAYがスパルタニックに入る、入らないの話はなかったように記憶している。

ただ、彼の身体能力の高さとセンスには目を見張るところがあったのははっきり覚えている。


今回はSPARTANIC ROCKERS 7番目の日本人メンバーとなったBAY のダンスヒストリーと、我がSPARTANIC ROCKERS に入るまでの経緯を追ってみよう。

BAY は九州は宮崎の出身。
BAYのダンスとの出会いは、彼がまだ小学校低学年の頃の事だった。

6歳年上のお兄さんが、マイケル・ジャクソンや風見慎吾の影響で家でバックスライドやバックスピンをしていたそうだ。当時、家族で別府まで風見慎吾のライブを見に行った事もあるらしい。

そんなお兄さんの影響を受けて育ったBAYは、その後しばしの時を経て、13歳の時に改めてブレイクに出会いなおす事になる。

きっかけとなったのは、当時放送していたバラエティ番組「元気が出るテレビ」の大人気コーナー「ダンス甲子園」であった。このダンス甲子園に出演していた「IMPERIAL JB’s(インペリアル ジェービース)」のブレイキンを見て衝撃を受けたのである。

ここからBAYは独学でブレイキング始める事となる。

「最初に挑んだ技はハンドスピン。

こたつのテーブルの上が滑ると思い中学1年ながら頑張った結果、その日にできました。」

確かにハンドスピンはとっかかりとしては分かりやすく、やり易い技である。

しかし、ブレイクは想像以上に体の様々な部位との連携が必要になるものである。

ハンドスピンも例外ではない。

力だけではなく、バランス感覚や、上半身よりもむしろ下半身を制御する能力が必要である。

BAYはさらっと「その日に出来ました」と言っているが、これは普通の事ではない。

飛び抜けた身体能力の表れであろう。

もちろん中学生の頃のBAYの事は全く知らない俺ではあるが、チーム加入後に彼の能力の高さをまざまざと感じる事となる。


さて、高校生になったBAY。

大好きなブレイキンを駅前で毎日、練習していたそうだ。

そして当時宮崎で活動していたダンスチーム「フェイズワン」に高校1年生で加入。チーム内ではブレイキンはダンスとして認められておらず、BAY はあくまで「ブレイキン枠」としてのメンバー入りだったそうだ。

*この頃のストリートダンス界はまだ発展途上であり、日本のダンス界はストリートダンスのあり方をよく理解していなかったと言える。

今では考えられないが、まだ「ブレイクはダンスなのか?」みたいな議論が時々聞かれるような状況であった。

簡単に言えば知識と理解が足りな過ぎて、ダンスの実態を理解できなかった時代なのだという事が言える。

一方BAYは、高校1年生から当時の彼女の誘いでジャズダンスを3年間習う事となる。

それが後のロングドリルや今のダンスに役立っていると教えてくれた。

これも印象深い話しである。


高校を卒業したBAYは福岡のダンス専門学校に入学。

そこで出会ったのが、講師を務めていた「長谷川三枝子先生」と「ガジローさん」である。

長谷川先生とは、九州のみならず、日本ストリートダンス史にその名を刻む伝説のチーム「IMPERIAL JB’s」の創始者。ジャズダンサーでありながら、チームのパフォーマンスにストリートダンスをいち早く取り入れたパイオニア的存在。

IMPERIAL JB’s を作った長谷川先生!

我がスパルタニックロッカーズの佐久間さんも、このチームのメンバーであった。

ガジローさんは、同じくインペリアルのメンバーであり、佐久間さんの後輩にあたる九州の重鎮。現在はPopやLockの印象が強いと思うが、B-Boyとしても相当なパワームーヴの使い手であった。

ダンス甲子園に出演していた「IMPERIAL JB’s」に衝撃を受けてブレイクを始めたというBAYは、ブレイクを始めるきっかけとなった憧れのチームの創始者やメンバーに専門学校でダンスを教わることになる。

そして、このダンス甲子園に出演していたメンバーに振付もしていたのが佐久間さん。

こうやって、話を整理していくと、ブレイクを始めるきっかけから、BAYとSPARTANIC ROCKERS は最初からつながっていく運命だったのかもしれない。

ダンス専門学校に通うため福岡に移住したBAY。

移住後間もなく、当時博多在住で早稲田ブレイカーズのメンバーであった「キヨ」と知り合い、博多のビーボーイが集まる千代体育館に連れて行ってもらう。

その体育館で当時精力的に活動していた「ロキシーロックジャム」というチームに出会い、チームに入れてもらう事になる。
福岡でのBAYの生活はこのチーム活動とともにあった。


専門学校生活2年を経て卒業後、当時北九州にあったテーマパーク「スペースワールド(2018年1月1日に閉園)」に入社。

テーマパークでアトラクションのダンスなどを行いながら、仕事が終われば北九州から博多へ移動しロキシーロックジャムの練習に参加し、練習後は北九州に戻り仕事に行くというハードな日々を過ごしてきた。

BAYは、長谷川先生や、ガジローさんとのつながりもあったため、「IMPERIAL JB’s」の練習にも顔を出させてもらっていたという。

こうして自然と佐久間さんとの接点もできてきたのだ。


佐久間さんはそういうつながりの中で、BAYの尋常ではない能力の高さを感じたのだと思う。そして、この人材は我がSPARTANIC にとって必要だと思ったんだろう。

・・・ということで、俺にとっては唐突だった佐久間さんの提案

「チームに入れたい奴がいるんだけど」

という話は、佐久間さんにとっては思い付きではなく、しっかりした裏付けがあった話だったのではないだろうか。

しかし、もっと驚くべき事実は、この「BAYのSPARTANIC入り」の話は、本人の知らない間にこちらで協議が始まっていたという事だ(笑)

佐久間さんの提案を受けた俺は、恒例となっていたスタジオフェイスでの深夜練習の後、ツヨシやトモに初めてこの件について話した。

既にBAYのB-BOY としての高い能力を認知していた2人は「断る理由が無い」と返答していたと記憶している。

こうして、あり得ない話だが、本人の預かり知らぬうちに我々の中でBAYのSPARTANIC ROCKERS 入りが決定した。

ちなみに俺は、当然ながらBAY本人はこの話を知っているものと思っており、佐久間さんからBAYの連絡先を聞いて、SPARTANIC入りについて連絡した。

そんな話をしらないBAYにとっては青天の霹靂(せいてんのへきれき)。
突然俺から連絡が入り、SPARTANIC ROCKERS 入りの話をされてかなりびっくりしたんだと思う。

本人曰く、

「宮田さんからの突然のSpartanic加入の連絡は、正にシンデレラストーリーでした。

スパルタニックは当時自分にとって神のチーム!

博多のチーム、ロキシーロックジャムやスペースワールドの仕事なども含め、迷いに迷いましたがやはり最後は1番の憧れスパルタニックに決めました。」

俺からの突然の連絡の後、バタバタと上京が決まっていくBAY。
こうして2000年7月にBAYはチームに入るために上京。
上京当日はツヨシが羽田空港まで迎えに行き、そのまま恒例となっていたスタジオ、フェイスでのスパルタニック深夜練習に合流した。夜中から明け方まで練習するという我々のスタイルは当時のBAYにとって衝撃的だったようだ。

まだ住居が決まっていなかったBAYは、上京から約2週間、佐久間さんの家に居候させていただく。(これは気を使いますね(笑))


ちょっと話はずれてしまうが、今回の文章を書くにあたり、当時の情報をいろいろ聞いた俺に、BAYは居候中に見た佐久間さんのストイックさを明かしてくれた

佐久間さんは朝7時くらいに起きて振り付けを考え、その後夕方までは仕事の打ち合わせやトレーニングを行う。

その後夕方から22:00までダンスレッスン。レッスン後にはスパルタニック練習で深夜2時~3時まで。自宅に帰るとビールを飲みながら色々なダンサーの映像を見て研究。

という毎日だったそうです。

佐久間さん、凄すぎ。

本当にストイックすぎて、俺は全く見習えないレベル!

こういう影の努力が佐久間さんのダンスを支えているんだと思うと、納得できることが沢山ある。


こうして我がSPARTANIC ROCKERS に入るためにわざわざ九州から上京してきたBAY。

突然の東京生活がスタート!

ここから国内のみならず、世界に向けてスパルタニックロッカーズのメンバーとして一緒に活動していく事となる。

俺はチーム加入当時、BAYの事をほとんど知らなかったわけだが、加入後に彼の能力をまざまざと知ることとなる。

俺、個人の意見としては、BAYはチームの中で一番ダンスの能力が高い男だ。

チームメンバーは皆、平均よりは運動能力の高い人間たちの集団なのかも知れないが、中でも、ツヨシ、JO、BAYは抜きん出ていたといえる。

しかしながら、ツヨシとBAYの能力の高さは全く種類が違う感じだ。

野性的な勘が異常に強いツヨシと比べると、BAYの特徴はすべてがコントロールされているといった感じである。

特筆すべきは体幹の強さ。

あらゆる技をコントロールしながら行えるのは、恐らくこの尋常ではない体幹の強さに起因すのだと思われる。

そしてもう1つの凄いところは「踊りの上手さ」である。
もともとなのか、それとも後天的なのかは不明だが、音感の良さはチーム1だと思う。

そしてダンスのキーともなる踊りのシルエットも素晴らしい。

トータルして考えるとダンサーとしての資質はチームで一番であろう。

 

スパルタニックの活動が一段落したタイミングで地元宮崎に帰ったBAY。
現在はダンスをやりながらも、日常は会社員として仕事をこなしている。


BAYからの言葉

今、私は会社員とし働いております。
面接は54人中1人合格!!
履歴書にダンスの事を書き、熱く語りました。
結果1人だけ合格することが出来ました。
本当にダンスを続けてきてよかったと思った瞬間です。

私が今生きてきて、
世界トップのブレイキングチーム、スパルタニックに入り、
そのなかで一緒に踊り、戦えた事は私の人生の最高の宝です。

End of This Story
To Be Continued


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