自分のダンスに対する考えが革命的に変わった出来事
パート1
自分のダンス人生を振り返ると、いくつかのターニングポイントがあった。
それは、自分にとって重大な出来事に遭遇する事で、大きな気付きを得て、ダンスが変化/成長してきたという事である。
今回はそんな自分史上のダンス革命について書きたいと思います。
日々遭遇する「沢山の小さな気付き」もとても大切ではあるが、
時々起こる、この「大きな事件」は、自分の中で革命的な変化を巻き起こす。
(事件とは自分の心が大きく変化する出来事の事であって、一般的な「事件」の事ではありません。)
実はつい先日久々に自分のダンスが変わるような大きな心の変化(事件)があった。
そこで、昔自分が何度か遭遇してきた、自分のダンスが変わるきっかけとなった「大きな事件」についてシェアしておきたいと思い立ちました。
もしかしたら、自分の経てきた「事件」が、皆さんのダンスライフにもお役に立てるかもしれないと思うからです。
自分のダンス人生全部を考えれば、「1番の事件」は間違えなく映画「フラッシュダンス」との出会だろう。この映画に出会わなければ自分は踊っていなかったかもしれない。これに関しては敢えてまた別途書きたいと思います。
自分が大きく変化するきっかけとなった今回ご紹介する「事件」は、アメリカはL.A.で起こりました。
(この内容は以前ブログに書いたことがあるお話を修正、加筆して改めてアップするものです)
それは1993年か1994年の事だったと思う。
当時はブレイクが完全に冬の時代であり、日本はもちろん、アメリカでもブレイクは脚光を浴びいなかった。
しかしながら、俺のメインのダンススタイルは”Breakin'”である。
だから本場、アメリカのB-Boy達の踊りをもっと見たい!
しかしこの当時はYoutube はおろか、インターネットもまだ普及していない時代。
世界がどういう状況なのかリアルタイムに確認する方法は存在しなかった。
そんな中、以前ブログで紹介した “AIR FORCE CREW” など、L.A.ではまだブレイクをやっている人達がいるという情報を人づてに得た俺。
この「うすぅーい情報」を元に、半分思いつきで後輩を一人連れ俺はL.A.に向かった。
このL.A.旅行では書いておきたい「小さな事件」も沢山あるが、今回はこの「大きな事件」についてのみ書きたいと思う。
俺が渡航したこの時、ダンスの先輩であるJUNさん(ジプシーやカポエラジャポンのメンバーとしても有名)がL.A.に住んでおりました。
実はJUNさんとは当時全く面識がなかったんだが、JUNさんの実弟のMANKEYとは以前からつながりがあったので、MANKEYに連絡先を聞いてL.A滞在中にJUNさんを訪ねさせてもらいました。
JUNさんは俺達を地元のアンダーグラウンドのクラブに連れて行ってくれました。
「アンダーグラウンドのクラブ」とは、日本ではちょっと考えにくいですが、看板をだして営業していないようなクラブである。
アメリカの大都市にはこういうところがいくつもあります。
そしてそういう所こそ、最先端のカルチャーが生まれる場所なのです。
JUNさんは、クラブに行くのに”スキームチーム”というダンスチームのメンバーの”カメレオン”を誘ってくれました。
「スキームチーム」とは、現在のブラック・アイド・ピーズのメンバーを含むダンサー集団で、革命的で型破りなダンスが日本のストリートダンス界も騒がせておりました。
この時代、HIP HOP DANCE も進化の途上であり、次々と新しい試みが行われていた過渡期と言える時代。
そんなか、この”スキームチーム”はシーンに一石を投じる新しいスタイルのダンスグループであり、特にこの”カメレオン”なる人物は、本当の意味で”フリースタイル”なダンスを踊る人でした。
JUNさんのお陰で、ラッキーにもこの”カメレオン”も一緒とクラブに行く機会に恵まれました。
ご存知の方もいると思いますが、アメリカのクラブはだいたい複数の部屋に分かれていて、部屋ごとに全く異なる音楽をかけている事が多いです。
そのアンダーグラウンドのクラブもそういうハコでした。
さて、我々はクラブに入ると、HIP HOP が流れている空間でしばらく踊っていました。
ふと気づくと、一緒に来ていたJUNさんやカメレオンの姿がありません。
どこにいるのかなぁ~ と探しに行くと、そこには別の部屋があって、スローなレゲーミュージックがかかっておりました。
そこで見たカメレオンの踊りに俺は衝撃を受けた!
彼は、「まったり」としたスローなレゲーミュージックに合わせてトーマス旋回をしておりました。(もともと体操の技で、ブレイクでも多用する足を開いて回す技です)
何が衝撃的だったかと言えば、そのトーマスを含む彼のムーブが音楽に本当にマッチしていたのです。
B-BOYである俺は、まさかそんな曲に対してパワームーブをやるという事を想像した事がありませんでした。
ましてや、そんなムーブが、この音楽にマッチするなんてとても考えられなかった。
そもそも発想自体出てこない。
しかし、カメレオンの踊りを見た時に、俺はある事実に気づいたのです。
素晴らしいダンスとは、
「音楽に合わせて自分の踊りを変える」のではなく、
「自分の持っているもので、いかにその音楽に合わせて踊るか」
・・・という事なのだと
確かに音楽のジャンルで育まれたダンスは、その曲に一番合っております。
当たり前です。
ファンクミュージックでは、ヒップホップダンスよりロックやポップの方が合っているでしょう。
ハウスミュージックではハウスダンスが一番マッチするでしょう。
でも、もし曲によって踊るダンスが決まってしまうのであれば、自分が普段踊らないジャンルの曲ではまったく踊れなくなってしまう。
ポップが出来ないからエレクトリックでは踊れない、
ロックが踊れないからファンクミュージックでは踊れない
レゲーダンスを知らないからレゲーの音楽では踊れない。
みたいになってしまうかと思います。
でもカメレオンの踊りはそんな俺の今までの常識を丸ごと塗り替えてしまった。
違うんだ!
自分の持っているもので、いかにその曲に合わせて表現する事が出来るのが、
「素晴らしいダンサー」なんだ・・・と
実際、ヨーロッパのトップダンサーは皆そういう踊り方をしている。
彼らの中で、ジャンルの区別は特に無いように見える。
やりたいものはすべてやる。
取り入れたいものは何でも取り入れる。
それを自分なりに消化した上で、今かかっている音楽に対してアウトプットする。
それが本来のフリースタイルなストリートダンスのあり方なのだ。
ブレイクの技だろうが、ハウスのステップだろうが、ポップのテクニックだろうが、やりたい事は全部取り入れる。
それを自分なりに消化しきって、「自分のスタイル」としてアウトプット出来るのが「いいダンサー」なのである。
これは後年パリのダンス専門学校でレッスンとバトルジャッジをさせてもらった時にも改めて感じた事だ。
そのバトルではジャンルレスに様々な楽曲がかけられていた。
まだまだ修行中の彼らは、そのジャンルにおいて技術や経験が無くても自分の出せる全力で向かってくる。
そんな彼らのダンスは、誰かに似ているわけではなく、全てが彼らなりの「オリジナリティ」が感じらるダンスだった。
我々日本人は良くも悪くも、ジャンルへのこだわりが強い。
このダンスはこうやって踊るべきである。
この曲だったらこのジャンルを踊るべきである。
これは部分的には間違った考え方ではないけれど、あまりに過度になってしまうと、オリジナリティが無く、誰が踊っても同じようなスタイルになってしまう。
そして何よりも、自分がその音楽に対して感じる自由な表現が抑制されてしまう。
我々の踊っているのは伝統的なバレエとは違うのである。
日々変化し続ける、ストリートダンスなのだ。
それなのに、定義でがんじがらめにしてしまうのはあまりにもったいない。
日本のコンテストやショーなどで、自分のダンスジャンルを「フリースタイル」と言っているチームを良く見かける。
そんな彼らの踊りを見ていると、
あ、ここからはBREAKIN’だな、ここからはLOCKIN’だな・・・
とか
ここからHOUSEで、ここからHIP-HOPだな・・・
と分かるケースがかなり多い。
これはFREE STYLE でもなんでもなく、ただのジャンルの羅列ある。
フリースタイルとは、どのジャンルにも帰属しないような、あるいは複数のジャンルの踊りをミックスしたような踊りの事であり、「いろんなジャンルを踊る」という意味ではない。
自分の専門ジャンル外の音楽に対して
自分のジャンルの踊りをマッチさせるように踊る行為は
ジャンルを超えた踊りであり、これも「フリースタイル」と言えると思う。
L.A.のクラブで俺に衝撃を与え、
俺のダンス人生を大きく変えてくれたカメレオンのトーマス旋回は、
体操でも、ブレイクでもなく、ジャンルの垣根を超えた「フリースタイルダンス」であった。
自分にとっては
「音楽とマッチした踊りとは」
・・・という、踊りの本質を気付かせてくれた大きな事件であった。
End Of This Story
To Be Continued