BOTYへ! Spartanic Rockers Story Vol.033

俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.033

BOTY参加決定!

会場が利用でくなくなったため、98年のBattle of The Yearは中止となるという知らせが俺の元に届いたのは、10月の事だったと思う。
このイベントにかけてきた自分は大分落胆したが、
なんと、
ほどなくして、新しい会場を確保したからイベントは開催するという新たな知らせが届く!

落胆からの歓喜!!

このジェットコースター。
なかなか気持ちを追いつかせるのは大変!!

とにかく、バトルオブザイヤー(BOTY)への開催が決定し、
俺たちはいよいよ開催されるドイツへ向かうこととなる。

前述したように、俺は当時サラリーマンとしてコンピュータのソフトウェアの開発会社に勤務していた。
会社、練習の他に海外への手配や、ダンスイベントへの出演など、目まぐるしい毎日であった。
体は本当にきつかったが、気持ちは盛り上がっていたのでギリギリ乗り切るような毎日であった。

それに加えて、渡航に関する事務的な作業も全部俺がやっていた。
今回のBOTYへは、後にダンスチーム「神風」として活躍する俺の生徒や、佐久間さんの生徒、TSUYOSHIの後輩も複数同行することになり、手配を一手に引き受ける俺は大変だった。
パスポートを無くした後輩のために、「至急発行して欲しい」という依頼の書面を作成してパスポートセンターへ提出したりもした。
常にこういう余計な作業が俺には付きまとうのである。

BOTY98は後輩たちもつれて、大人数での渡航となった

さて、そんなあわただしい毎日の中、俺の元に新たなオファーが入ることになる。
俺たちが参戦予定のドイツで行われるBattle of The Year(BOTY)の直後にフランスでダンスイベントがあるから出てほしいという、フランスのオーガナイザーからのオファーである。

これもUK B-BOY の優勝効果である!

初めてもらった海外からの出演オファー!!
ただ、この時はBOTYも自費参加である。
という事で、同行する後輩や生徒たちは日本とドイツの往復便だが、
我々Spartanicのメンバー5人のフライトは、行きはドイツで、帰りはフランスからという飛行機を自分で手配した。
ドイツからフランスへの移動はフランスのオーガナイザーが手配するという約束であった。
この後またとんでもない事態が発生するのだが、そんな事はこの時は想像だにしなかった。

新しいショーは完成し、何度も練習を積んで、なかなかいい出来になった。
ヒザは相変わらずかなりの痛みを伴っていたが、
いよいよBOTY98に、日本人初優勝をかけての旅立ちの時が来る!
会社員だった俺は例のごとく、今年2度目の有給休暇をとっての渡航であった。
有給は比較的簡単にとれたのが自分にとっては幸いであった。

果たして日本の実力を、
Spartanicの風をBOTYの決勝の舞台で巻き起こすことはできるのか・・・・

時は1998年11月初旬。
会場はドイツのOffenbach(オッフェンバッハ)という都市。
フランクフルトからほど近い場所である。

BOTY98の会場は、ドイツのオッフェンバッハ

ドイツに到着した我々が案内された場所は、きちんとしたホテルであったが、周りには何にもないような場所だった。

オッフェンバッハはフランクフルトからほど近い町である

さて、ドイツについてからも大事な事務作業があった。
フランスのイベントオーガナイザーとのやり取りである。
ドイツからフランスへの移動を具体的にどのようにするかはこの時点で聞かされていなかった。
この当時はSNSはもちろんの事、携帯でのメールもできない時代だったので、電話でのやりとりである。
ホテルからオーガナイザーに電話すると、
「明日BOTYに行くのでそこで電車のチケットを渡すから、よろしくね」
と言った内容であった。
これでドイツからフランスの移動も大丈夫だ。

ホテルには次々と世界各国からの出場チームが集結してきた。
俺がとてもよく覚えているのは南アフリカのクルー、BLACK NOIZE(ブラックノイズ) である。

南アフリカのクルー BLACK NOIZE

生まれて初めて会った「南アフリカ」のB-Boyはみな黒人であった。
ご存知の方も多いと思うが、南アフリカはアパルトヘイト(人種隔離政策)により特に黒人を迫害してきた、人種差別国家である。
ネルソン・マンデラ大統領就任により、アパルトヘイトが完全に撤廃されたのは1994年。この時のわずか4年前である。
人種差別はいまだに世界には存在するが、これほどまでに公に行われていたものが、つい最近まであった事は皆さんもよく心に留めておいていただきたい。
少なくともダンスは、差別なくみんなに平等であり、それがゆえに我々はいつでも世界中でつながれるのである。
特にHIPHOPやB-Boyingは、そういう懐の深さがある。
これは世界各国を旅して実感してきたことである。

ホテルの周りのお店は数えるほどしかなかったが、そのお店も夜7時ぐらいには全部しまってしまう。
当時既に24時間営業のコンビニが当たり前の日本では考えられない環境であったが、ヨーロッパ諸国では当たり前の状況であった。
レストランやバーはある程度遅くまでやっている店もあったが、スーパーや小売店は遅くても8時前には全部閉まってしまう。
ただ、ガソリンスタンドだけは夜中でも営業していた。
ガソリンスタンドにはお菓子や飲み物などがあり、ちょうど日本のコンビニの小さいバージョンといった感じであった。
周りに散策する場所もなかったため、俺はこの南アフリカのクルーのメンバーを誘って、一緒にガソリンスタンドまで買い物に行った。

恐らくは無駄なものを買う余裕はなかったのであろう、何も買い物をしない彼らに、ポテトチップを買って渡してあげたことを覚えている。

さて、BOTYもイベント前日は前夜祭が開催されていた。
覚えている方もいると思うが、UK B-BOY に参戦したときはTsuyoshiもJoも前夜祭で死ぬほど踊りすぎて、本番では筋肉痛による不調を訴えていた。
再び同じ過ちを犯しては困るので、俺はチームに外出禁止令を出した(笑)

パーティーに行きたがるメンバー達。
正直言って俺も行きたい!

でもこいつらは行ったら絶対踊りまくるに決まっている。

実際彼らに質問をしてみた。
「行っても踊らないと約束できるなら行ってもいいよ」
ツヨシが出した答えは
「それは無理だと思うので我慢します」
であった。

正直な返答(笑)。

という事で皆が楽しく前夜祭で盛り上がっている間、
俺たちはホテルのロビーで練習である(笑)
若いメンバーたちにとっては相当楽しくない流れだったと思うが、俺は気にしていなかった。
ここに来たのは勝つためである。
俺は勝つために万全の態勢で臨みたいと思っていた。

こうしてBOTYイベントの前夜は地味に更けていくのであった…

End of The Spartanic Rockers Story Vol.033

To be continued


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怪我との闘い!! Spartanic Rockers Story Vol.032

Spartanic Rockers Story 一つ後のぺージ

いざ出陣! Spartanic Rockers Story Vol.034