俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.9
Spartanic Rockers 始動開始!!
こうして日本人メンバーが、自分も含めて3人になった。
これはブレイクダンスのチームとしては非常に少ない人数だった。
だが俺の考えでは、元々そんなに多くの人数をチームに必要としていなかった。あくまでも心が通じる人、そして秀でた部分がある限られた人数でチームを成り立たせていきたかった。その考えは日本チーム結成後20年以上経った今でも全く変わりはない。スイスのメンバー、レミー、モンティもいる訳だし、当時の日本人メンバーとしては佐久間さんとツヨシの2人がいればもうそれで十分だと思っていた。
日本のB-Boyシーンを作ってきた佐久間さんと、これからのシーンを引っ張っていくツヨシ、そしてその中間の年代にあたる俺。これで日本のB-Boyシーンを世界に示せる。そしてこのメンバーの選抜には俺が考えていたもう一つ大切なキーポイントがあったが、それはヨーロッパ上陸の際にまた話したい。
98年、新たな年を迎えたが、Spartanic Rocekrs としての本格的な活動はまだされていなかった。俺、佐久間さん、ツヨシ、3人一緒や、2人一緒に練習することはあったが、何か具体的なアクションが取られた訳ではなかった。俺の中には海外進出の狙いはあったが、それにむかって明確なプランがあったわけではなく、具体的なつてがあったわけでもなかった。結局そんなこんなで日本のSpartanicが本格的に動き出すのは98年の春を待つ事になる。
活動が本格化する原因を与えてくれたのはまたしてもレミーだった。
「タケオ、今度ドイツで凄いイベントがあるよ。このイベントではヨーロッパ対アメリカと題して両国を代表する B-Boy の 4on4 Battle(4対4でバトルをする事)がある予定なんだ。このイベントに遊びに来てはどうだい?それにスイスでも大きなコンテストイベントがあるよ。恐らくBOTYのオーガナイザーも見に来るはずだ。俺達をBOTYに出させてもらうように掛け合うチャンスだぜ。」
確かにこいつはチャンスだと思った。
まずドイツのイベントのほうだが、バトルをするB-Boy達の面子が半端じゃない。
ヨーロッパ代表はイタリアのマウリツィオ、フランスはファミリーのイブラヒム、スイスはベイシルシィティーアタックのベニー、そしてイギリスの老舗クルー、セカンド・トゥ・ノンのニックという面々。
*イタリアを代表する天才B-Boy Maurizio(マウリツィオ)
*フランスの有名なB-Boy IBRAHIM(イブラヒム)
アメリカ代表は当時エアートラックスブームを巻き起こしたアイヴァン、ソウルコントロールのクジョー、レネゲイズのマン・ワン、そして伝説のB-Boy オルコという面子であった。この対戦はB-Boyならだれでも見たくなるカードだ。
*関連記事 オルコ:Air Force Crew
何度も繰り返しになるが、その当時、スマートフォンはおろか、YOUTUBEはもちろんの事、DVDもない時代である。ネット上で誰でも気軽に情報にアクセスできるような現代とは違い、情報が入ってくるまでには相当時間がかかった。それに、場合によっては情報そのものが入ってこないような時代である。
当時はアメリカの情報はVHSビデオで日本に入ってくることもあったが、ヨーロッパのダンス動画などは入手することがほぼ不可能な状況にあった。また日本においても、バトルのイベントは数えるほどしかなく、海外のTop B-Boy 達が戦うのを日本で見るのも不可能な事であった。だから、今回の旅はこの対戦カードを見に行くだけで、十分元が取れそうな内容であった。
それにヨーロッパのコンテスト。
この時俺には絶対の自信があった。ヨーロッパのB-Boy達のショーはその個人技の凄さとは裏腹にかなりレベルの低いものであった。そこに我々日本人が入ったスパルタニックロッカーズでショーを見せれば、そのレベルの高さに驚くだろうと言う事は想像に固くなかった。そしてもしBOTYのオーガナイザーがこの場所に来るのであれば、俺達の実力を見せつけるチャンスだと思った。早速俺は佐久間さんとツヨシにこのプランを持ちかける。2人とも別々の理由から最初は尻込みした。
ツヨシは金銭的な理由から、ヨーロッパ行きを躊躇した。もちろん今回のツアーも全部自費での渡航になるわけだが、ツヨシは実は1カ月程前に旅行でフランスに行ったばかりだったのだ。ご存じの通りヨーロッパへの運賃はエコノミーでもかなりの金額になる。まだ若いツヨシには2月足らずのうちに2度もヨーロッパに行く金銭的な余裕は無かった。この機会を逃してはならないと思った俺はツヨシを説得した「絶対行ったほうがいいから行こう。お金は俺が貸してやる」それでもツヨシは返せる当てが無いからと断ったが、結局俺のゴリ押しで納得した。
佐久間さんは渡航予定の2週間前ぐらいに、パスポートが切れているという事に気づいた。「宮田、だめだわ。パスポートが切れているから行けないよ。」同じくこの機会を逃しては行けないと思った俺は佐久間さんを説得する。「大丈夫です。2週間もあれば十分間に合いますよ。」行くことを既に諦めかけていた佐久間さんもあわててパスポート更新の手続きをし、ようやく3人でのヨーロッパ行きが決定した。当時は俺も営業マンとして会社勤めをしていたので、有給を利用しての渡欧となった。
日本を離れる前に行ったルーティーンの練習は1週間足らず。海外の大会に出るための練習としてはかなり即席なものだったが、短い時間でも面白いルーティーンが完成した。ツヨシは佐久間さんや俺に比べれば立ち踊りをやるケースが少なかったので、ルーティーンを覚えるのにかなり苦労したようだが、それでも一応見られるようになる範囲までは習得してから日本を離れることが出来た。
さぁ、スパルタニック日本人メンバー初のヨーロッパ上陸である。
一体どんな事態が巻き起こるのか???
期待と不安が織り交ざった旅立ちであった。
End of The Spartanic Rockers Story Vol.9
To be continued
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