俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.019
日本人メンバー 5番目の男
ドイツで行われている国際的なB-Boy Battle のイベント、Battle Of The Year(以下BOTY)のファイナルバトルに日本人だけなら参加していいという話しを聞いて急展開を迎えたスパルタニックの日本人チーム。
俺、ツヨシ、佐久間さんの3人だけでは到底勝ち目がないので、俺は新規にメンバーを増やしたいと考えた。
それをツヨシと佐久間さんに相談して、それぞれから1名ずつ推薦メンバーを出してもらう事になる。
ツヨシは俺の予想どおり、JOを推薦してきた。
参照:日本人メンバー4番目の男
一方の佐久間さんは、俺にちょっと紹介したい奴がいると言ってある人物を連れてきた。
それは俺が当時会ったこともない人間だった。
それが「植木豪」であった。
Spartanic Rockersの98年での活動の後、99年 “3D CONNECTION & NEW POWER G“ としてダンスディライトというダンスコンテストで優勝を果たし、さらにその後”PaniCrew”のメインボーカルとして、アミューズからメジャーデビューを果たすことになる男である。
植木豪はもともと福岡県出身。
小学校6年生の時にテレビで見たマイケルジャクソンに興奮し、生まれて初めて眠れなくなるという経験をし、次の日からダンスを開始。
高校生になるまでひたすらムーンウォークだけやり続けたらしい(笑)。
中学生三年で岡山に転校し、そこで、後のダンスチーム3D CONNECTIONのメンバーとなる「クッスン」と席が前後になりCDの貸し借りから友達となって一緒にダンスをはじめるようになった。
高校からは大阪の学校に行くようになり、大阪の仲間たちとNEW POWER Gというチームを結成。この3D CONNECTION & NEW POWER Gの連合チームは後の”PaniCrew” の前身である。
豪は初めて出たDANCE DELIGHT SOLOBATTLE CONTESTで優勝、大学生の時にパケラッタにも入りJAPAN DANCE DELIGHT全国大会2位になるなど、軒並み実績を上げて行った。
そんな豪も学校を卒業すると就職のために東京に出て浜松町のデザイン会社に入った。
ある時一緒に踊っていた仲間、後のPaniCrewのチームメンバー「ホーリー」や、大阪の有名ダンサーで先輩の「TETSU-G」が佐久間さんに連絡をしてくれて、豪は佐久間さんがレッスンしているスタジオに挨拶をしに行く。その日はそのまま佐久間さんにクラブに連れていかれ、その時たまたま来日していたアメリカの有名ダンサー、ケン・スウィフトやズールーグレムリン達といきなりショータイムに出されるという謎の展開!!
佐久間さんにこの件について聞いたところ、実は佐久間さんはもう少し前から豪の存在を認識していたらしい。
関西のとあるイベントに呼ばれて時にそこでパフォーマンスをしていた豪を見ていたのだ。
8ビートでヒットを入れながら歩く、アメリカの超有名ダンサー、POPPIN’ TACO がやっていたテクニックを、豪がやっていたのを見て驚愕。何故なら日本人でこの踊り方が出来る奴はいないと思っていたからだ。
佐久間さんと豪はその時話しをしたわけではないので、豪はまさか佐久間さんが自分の事を認識しているとは知らないで、挨拶をしに行ったのだった。会ったその日に豪をクラブに連れて行ってショーに出すというむちゃくちゃな事をやったのも、豪の実力を知っていたからだったようだ。
その後、豪と2人でポップのショーを作り、イベントに出た事もあったらしいが、実は俺はその事はこの文章を書くために2人にヒアリングするまで知らなかった。
佐久間さんは、俺からメンバー補充の話を聞いたときに、豪なら即戦力になると思って、俺に合わせようと思い立ったとの事らしい。
さて、当の本人、豪は、佐久間さんからSpartanic Rockersの話を聞いた時、「自分は完全にPopper要員としてチームに誘われたんだ」と思ったらしい。
この当時、特に海外のチームでは、B-Boy のチームに1人か2人程度、Popperが参加しているというスタイルがよく見受けられた。豪もそういう事かと思ったようだ。
また、今でこそアクロバットから様々なパワームーヴをこなす豪だが、この当時、ブレイクに関してはウインドミルができる程度で、ほとんど経験もスキルも無いような状態だった。
ジャンル違いだったので俺の事も知らず、周りのB-Boyにリサーチしたら、「スタイルとパワームーヴの両方をやる、当時はあまりいなかったスタイルの凄い人だと聞いたので会ってみたい」と思ったらしい。
だが本当は豪はずっと前から俺の事をテレビで見て知っていたらしいが、その時は同一人物だと気づいていなかった。ある時それに気づく時が来るのだが、その話は追って書きたいと思います。
そんな豪はSpartanic Rockers への誘いが来た時は就職して間もなかったが、
「世界大会行くから集中して練習したいのでやめさせてください」
と言ってあっさり仕事もやめたそうだ。
そんなこんなで豪は佐久間さんに呼ばれて、ある日赤坂の自分のスタジオ、フェイスにやってきた。B-Boyではないけれど、佐久間さんの選定の目と、PopperとしてのGOの力量、そして最初にいろいろ話をした時のインスピレーションで、俺は彼のチーム入りも承諾した。
これで日本人チームは、俺、ツヨシ、佐久間さん、JO、GOという5人態勢が整い、新たにチーム活動を始めることとなったわけだ。
BOTYスイス予選が終わり、結果が分かってからのことだったので、7月ぐらいの話だったと思う。
End of The Spartanic Rockers Story Vol.019
To be continued
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