俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.10
ヨーロッパ 初上陸!!
1998年4月。
俺、ツヨシ、佐久間さんの3人、Spartanic Rockers 日本人メンバーとしての初の大きな活動となったヨーロッパ訪問。
その大きな目的は3つ。
1つ目はドイツでのバトルイベントを見に行く事。
そして、2つ目はスイスで行われるバトルイベントに自分たちが参加する事。
そして3つ目に、ツヨシと佐久間さんは、まだオリジナルのメンバーであるレミーやモンティにも会ったことが無かったので、その顔合わせという大事な意味もあった。
スパルタニックロッカーズはスイスの首都ベルンが本拠地である。ということで我々は、スイスを目指して飛び立ちました。
スイスで俺達3人は、レミーの家に泊めてもらうことになった。
ベルンには大きな飛行場はないため、日本からの直行便がない。そこでチューリッヒ空港に行き、レミーがそこまで車で迎えに来てくれた。
ベルンはチューリッヒの空港から車で2時間弱程度の距離に位置している。
余談であるが、この”BERN(ベルン)”というのは”BEAR(ベアー)=熊”から来ているらしい。
この街に名前を付ける時に、森に行って最初に仕留めた動物の名前をつけようという話しになった。そして最初に仕留めたのが熊だったため、この名前になったという事らしい。
だから、ベルンの町の紋章は熊であり、町の中心を走っているアーレ川に架かるニーデック橋のところでは、熊を飼育している。(冒頭の熊の写真はニーデック橋の写真)
しかし、スイスの首都であるというこの町は、驚いた事に本当に小さい!
何故この町が国の首都なのかと疑いたくなるぐらいだ。
大げさではなく、町の中心部から車で10分も走れば牧草地が広がっている。カウベルをつけた牛達がのんびりと草をはむのどかな空間がどこまでも広がっている。それは日本人の多くがスイスに抱いているイメージそのままの風景だ。こののどかな町とストリートダンスの中で最も激しいダンスであるブレイキング(ブレイクダンス)は、いやヒップホップカルチャー自体がミスマッチな気がした。
しかしこの町、この国にもヒップホップの魂は絶える事無く息づいていた。空港を出てレミーの家に向かう最中も幾つも壁に描かれたグラフティー・アートを見かけた。日本とはまるで違った風景である。
HipHopカルチャーはアメリカで生まれ、多くの若者の指示を得て発展し、広まっていった。しかし、その文化の一端を担っていたブレイキングは80年代に全盛期を迎えた後、発祥地アメリカでは冬の時代を迎える。
アメリカの影響が強い日本も、これに右ならえでブレイキングは冬の時代に突入した。この間数年は、日本でブレイキングを広めてきたB-Boy達もほとんどブレイキングをやめ、いわゆるニュースクールダンスに傾倒していた。
前述したが、ヨーロパに渡ったブレイキングは、その息を止めること無く独自の発展を遂げた。93年、L.A.からエア・フォース・クルーが来日し、驚くべきパワームーブを見せてから一気にその炎が再燃し、今日の日本のシーンの土台になっていった。そして、その時、エア・フォース・クルーのリーダーであるシーザー達が日本に持ち込んだヨーロッパのBreakin’のビデオを見て、我々日本人はそのあまりのレベルの高さに驚愕した。
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当時世界的に見ればストリートダンスの中で最も人口が多いのは間違えなくブレイキングであった。しかも、ヨーロッパでは90年代半ば「ストリートダンス=ブレイキング」という図式が一般的であり、ニュースクールダンスと呼ばれるダンスはほぼ普及していなかった。その事から考えると、ブレイキングの進化もうなずける部分はあるが、その進化の度合いは普通では考えられない程であった。
これは、国民性や、気質に起因するところも多いかと思うが、その件についてはまた追って書きたいと思う。
ともかく、そんなヨーロッパ各国の中でもスイスはかなりレベルが高い国の一つといえるだろう。
1996年のBattle of The Year で優勝を収めたのも、スイスのチーム “TOYS’N’EFFEKT”。
また、今回俺達が訪欧した理由の一つ、ヨーロッパ対アメリカのバトルに出演するベニーはスイスのB-Boyだし、ダンスディライトで有名なアドヒップのマシーン原田氏が98年に開催したOLD-SCHOOL NIGHTにベニーと一緒に招聘したタフ・キッドもベニーと同じチームでスイスのバーゼル(Basel)という町の出身である。
いずれも最初は俺の紹介から始まった話である。
レミーは地元の大学院で化学を専攻するインテリB-Boy。当時は実家に暮らしていたので、我々はそちらにお世話になる事になりました。こぎれいな広いマンション。いきなり、男3人おしかけ合宿!
今から考えると大分申し訳ない!
ありがとうございました。
さて、我々はいよいよビデオでしか見たことの無い、自分達にとって未開の地ヨーロッパに足を踏み入れたのであった。ツヨシは旅行でフランスに行ったことがあったわけだが、俺も佐久間さんもヨーロッパ自体初めての訪問であった。そして、数日後にはそんなヨーロッパのB-Boy達とのバトルが控えている。しかし、この時俺には確信に近い勝算があった。果たして、俺の考えはヨーロッパで通用するのだろうか?
End of The Spartanic Rockers Story Vol.10
To be continued
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