俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.053
新たにTOMOをメンバーに迎え、世界3大大会のうちの2つ、UK B-BOY CHAMPIONSHIPS とBATTLE OF THE YEAR に臨むスパルタニック・ロッカーズ。
それぞれの毎日を過ごしながら忙しくチーム練習も続けていた。
そして迎える合宿練習!
スイスから、Remy(レミー)とMonty(モンティー)が来日。
ここから1週間の合宿練習がスタートした!
*TOPの写真は1998年のBATTLE OF THE YEAR(ドイツ) にて
上段左から、JO,Monty,Go,Remy
下段左から、俺(Takeo),Zed、佐久間、ツヨシ
彼らが来日する前に我々は次のショーケースのコンセプトを考えていた。
俺が一番に考えたのは、日本とスイスの両国を上手くリプリゼント出来る内容である。
結果、シンプルに「日本を表す忍者と、スイスアーミーの戦い」とうショーにしようという話で落ち着いた。
ここから細かいショーへのブレイクダウンが始まってくる。
ダンスショーケースを作るときは、今回のショーはこんな感じで作ろうというコンセプトをまず決める。
それは単純に使いたい曲から始まるときもあれば、今回の様にストーリー性を持たせる考えから始まるケースもある。
今回は初のスイスと日本の合同作品なので、より伝わりやすく、ストーリーを組み込んだショーケースにするという事に決めたのである。
ストーリーが取り入れられると、振付だけでなく多分に段取りが多くなってくる。普段ブレイクのショーケース、それもソロがメインのショーしかやっていないRemyとMontyにとっては結構な負担だったのではないかと思われる。
しかもブレイクだけではなく多少ではあるがLOCKIN’など立ち踊りの要素も加わってくる内容である。これは同じくこのようなショーに参加したことがないZEDにとっては大きな負担だろうし、加えて彼は来日していないので、内容をレミーとモンティに伝えて一緒に練習してもらう事になっている。
これも初めての彼らにとっては大変な事だったに違いない。
俺と佐久間さんはブレイク以外のジャンル、HIPHOPやLCOK、POPも普通にやっていたし、ツヨシはブレイクの割合が相当高かったが、一応高校時代から他のダンスの経験もそこそこあった。しかし、当初まだZEDの代役としてチーム参加のオファーをしたトモは他ジャンルの経験がほとんど無かったため、相当な苦労をしたようである。
当時を振り返ったトモはこのように話している。
「とにかく振り付けを覚えるのに必死だったと思います。
ソロのことまで考える余裕はあまりありませんでした。
それまではほぼソロのことだけ考えていればよかったのですが、その辺が、今までと全く違っていましたし新鮮でした。
ただ毎回400m走をしている気分で、ビックリしたのを覚えています。
万全な状態でソロをやることはほぼ無かったので、直前に集中力を切らさないように、そして更に集中するように気持ちを持っていくのが、自分なのかでの重要なポイントでした。」
トモの例え話はとても適切。
陸上競技でもっとも辛いと言われている400m走。
短距離のきつさと、長距離のきつさをあわせもっているからである。
スパルタニック・ロッカーズのダンスショーケースは、まさにこれである!
ダンスの振付は長距離走。一定の集中力と、体力消耗を伴っている。
そしてその長距離走の合間に襲ってくるのが「短距離走」にあたるソロ。
特にパワームーヴを中心とする我々にとっては相当体力を消耗するパートであり、しかも本当に重要な部分である。
ブレイクのパワームーヴとは、いわゆる回転(スピン)を中心とする技の事を指します。そしてパワームーヴはその難易度にもよりますが、いずれも失敗のリスクをはらんでおります。失敗した場合は当然評価が下がってしまいます。
とは言っても、世界のB-Boyを相手に、低リスクの技ばかりをやっても全く評価に値せず、またB-Boyのマインド的にもそんな事はしたくないのは当然です。
要するに、我々は常に失敗のリスクにさらされながら、自分が出来る最大限の技(パワームーヴ)をショーの中に織り交ぜて行う事になります。
これはソロ中心のショーとは大きく異なります。
しかもスパルタニック・ロッカーズの場合は他ジャンルのパートもそこそこハードで繊細です。経験がないメンバーにとってはかなりの負担であることが想像できます。
ここについても、出来る、出来ないの境界線を探りながらの振付作成が行われていきました。
さて、我々のショー練習は基本夜から深夜にかけて行われることがほとんどです。
佐久間さんや俺はダンスのレッスンを夕方から夜にかけて行っているケースが多く、その時間を外した昼か夜遅い時間しか十分な時間が取れないからです。
ダンサーはよいっぱりが多いので必然的に夜練習という事になります。
練習は追う夜10時ぐらいから深夜2時から3時ぐらいまで行われていたと思います。時間が空いているときは昼間練習も織り交ぜておりました。
こういうハードな予定に加えて、昼や夕方に外せない予定がある場合もあり、せっかく来日しているレミーやモンティーをどこかに連れて行くのがとても難しい環境にありました。
良く覚えているのは、その当時まだ店舗数がそこまで多くなかったドンキホーテに彼らを連れて行った事。
スイスでは一般の店舗も夜6時から7時ぐらいまでにはだいたい閉まってしまいます。
日本のコンビニにあたるような店舗もありません。
朝までやっているドンキホーテは彼らにとっては驚異的な店でした。
彼らはドンキの事をその常識外れの品ぞろえや、営業時間から「クレイジー・ストア」と名付けて話題にしておりました。
こうして忙しく過ぎていったスイス、日本合同のダンス合宿生活。
しかし、実はこの直後もう一つの大きなスケジュールが我々を待っていました!
End of This Story
To Be Continued
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