BOTY1999 Spartanic Rockers Story Vol.058

俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.058

いざ、ドイツ BOTY へ!!

 

1999年9月。いよいよ我々はこの年最大のイベントツアーに向けて日本を発つこととなる。

ドイツで9月18日に開催されるBattle Of The Year(BOTY)と、そしてその一週間後に9月26日にイギリスで開催されるUK B-BOY CHAMPIONSHIPS への参戦の為であった。

 

前述のとおり、この大会へ参戦するため、スイスのオリジナルメンバー、レミーとモンティは夏に事前に1週間来日し、合宿練習を行った。

その振付を持って帰国し、来日できなかったZEDに振り写しを頼んであった。

この振りの仕上げと、日本では練習時間が足りなかったために行っていなかったバトルのためのバトルルーティーンの練習を行うために我々日本人メンバーはスパルタニックロッカーズ発祥の地、レミー達の住むスイスの首都ベルンに1週間前に赴くこととなる。

 

ここから改めて合宿の始まりである。

今回は人数も少し多かったため、我々はRemy、Monty、Zedの3人の家に分かれて宿泊させてもらうことになった。

 

この当時スイスのスパルタニックロッカーズはUetligen(カタカナにするとウトリゲンという発音だと思われる)というユースセンター(児童館?)のような公共施設で練習をしていた。少し郊外ののどかな場所にあったこの施設、仕組みはよく分からないが、Remy達は鍵を預かっていて自由に出入りできる状態であった。

部屋中がグラフティアートに埋め尽くされた部屋!

この場所には98年の4月、初めてスイスに行った時も練習に使わせてもらっていたが、改めて紹介しておく。

公の場所のはずが、めちゃめちゃHIPHOP仕様に改造されている事が驚きである!

壁はヒップホップ グラフィィティアート が描かれ、DJができるようにターンテーブル用のテーブルも用意されている。

公共施設を勝手に仕様変更?、もしくは同意の上なのかは分からないが、どっちにしろ凄い話である。

我々はここからまず1週間、この場所を中心に練習を重ねる事となる。

さて、もともとZEDがUK BBoy は出れないという話だったので、TOMOに代役を頼むという流れだったが、ZEDはなんとかスケジュール調整をし、結局メンバー全員で両方のイベントに参加できる事となった、

これは嬉しい誤算である!

結果我々は、BOTYもUK B-BOY も構成を変えることなくショーを行うことが出来ることとなった。

はっきりした記憶は無いが、合同練習が初のZEDはかなり大変だったのではないかと思われる。特に最後の方の立ち踊りメインの部分は、彼にとっては全く初めての経験だった。

レミーとモンティは数回日本人メンバーと踊っているので、大分免疫が出来ていたと思うが、ゼッドは日本人メンバーと一緒に踊るのも初めてだし、立ち踊りをやるのは全くはじめてだったからだ。

それでも、ともかく我々は約1週間足らずの時間で練習を詰め込み、BOTYが行われるドイツの街、LEIPZIG(ライプツィヒ)へ向かう事となる。

陸続きのヨーロッパでは良くあることだが、経費の事も考えて我々はレミーとモンティの来るまでに分乗して移動。

途中事故渋滞も経て、約9時間ほどかけての会場入りとなった。
これほどの長時間にわたってずっと運転をしてくれた2人には本当に感謝である。

 

さて、大会が開催されたライプチヒは、旧東ドイツエリア。
東ドイツ時代は、ベルリンについで2番目の規模の都市であった。
また、 バッハやメンデルスゾーンそしてヴァーグナーらゆかりのドイツを代表する音楽の街としても知られている。


また東西両ドイツの統一の端緒となった住民運動の発祥地もこの町らしい。
この、ドイツ「ベルリンの壁」が崩壊したのが1989年ということは、そこから丁度10年後である。
俺にとって3回目のドイツ、そしてはじめての旧東ドイツは、やはり西ドイツとは大分違ったおもむきであった。

それはこの町に限ったことかもしれないが、とにかく、町が活気づいている感じはなく殺風景な感じであった。

現在(2019年)においても、旧東西ドイツではかなり経済格差があるという事であるが、この当時はなおさらだったであろうと思われる。

ツヨシやトモは、ホテルの近所の個人商店に買い物に行ったら、全く言葉が通じないと言っていた。しかも、ONE とか TWO すら通じないという話に俺は少し驚く。

 

イベント前にはBOTYのオーガナイザー会議が開催された。

俺は、BOTYの主催者トーマスから、日本でも予選をやらないかという打診を受けていた。当時、ダンスはダンス、仕事は仕事と考えていた俺は、この99年のBOTYとUK BBOY が終わったらまた会社員生活に戻ろうと考えていた。BOTYのような国際的なイベントの日本予選を自分でオーガナイズするつもりはなかったので、ダンスディライトを主催するアドヒップのマシーン原田さんにこの件をお話しし、原田さんをトーマスに紹介して、日本でBOTYの予選を開催する方向で検討してもらうことにした。

そのため、原田さんともこの年ドイツのBOTYを初訪問。トーマスに引き合わせて、一緒にBOTYの会議に出席する事となる。

 

会議には前年度の98年に衝撃的なスキルで、俺に会社を辞めようと決意させた(笑)、アメリカのROCK FORCE CREW の新メンバー、REVEAL(リビール)とIRON MONKEY(アイアンモンキー)も参加していた。

この2人はそのスキルや斬新なスタイルで、当時のアメリカB-BOY界では相当目立った存在で、皆の注目を集めていた。

 

記憶力のいい読者であれば、覚えているかと思うが、前年、98年のBOTYの決勝は大変混乱した状況であった。そして結果優勝を逃したフランスのFAMILYは、我々の予想を超えた強い気持ちで、打倒ROCK FORCE CREW を目標としていた。

BOTY98決勝バトル!!  Spartanic Rockers Story Vol.038

別イベント参加のためヨーロッパに先に上陸してたROCK FORCE CRWE は待ち構えていたFAMILYとオランダのロッテルダムにて約30分にも渡る激しいバトルを展開することとなる。

 

 

この因縁の対決に対しては、多くのB-BOY達が噂をしており、会議でもこの話題になった。

「みんなが因縁の対決について噂しているけど、どう思う?」

と尋ねられたREVEALは

「関係ないね、俺はやるだけだよ」と自信満々に言い放ったのを今でもはっきり記憶している。

ちょっとしびれた(笑)

REVEALはその言葉にたがわぬ、天才的なB-Boyで、現在でも行われている様々な新しい形のフリーズやコンビネーションをこの時代に数多く生み出しているのである。

そしていよいよBOTYイベントの日がやってくる!

果たして我々 Spartanic Rockres の運命やいかに!!

End of This Story
To Be Continued


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