大問題発生!! Spartanic Rockers Story Vol.051

俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.051

1999年に開催される世界2大大会、

UK B-BOY CHAMPIONSHIPS(ユーケー・ビーボーイ・チャンピオンシップス:イギリス) 

そして

BATTLE OF THE YEAR(バトル・オブ・ザ・イヤー:ドイツ)

に、スイスメンバー、日本メンバー合同で参加することが決定し、練習のための合宿計画も整い、いよいよという時に、

またまた大きな問題が発生した。

 

今回初めて一緒にイベントに臨む事になったスイスのメンバーZEDが、BOTYは出られるがUK B-BOY には出られないと言ってきたのである。

更に、日本で行う1週間の事前練習にもZEDは来られないという。

ということは、ショーもバトルも6人バージョンと5人バージョンを同時に考えて練習しなければいけないという事だ!!


*TOPの画像 上段左:Zed 右:Monty 下段左:Def Ice 右:Remy
1999年当時、Def Ice はブレイクをほとんどやっていなかった。


以前のブログでも説明した事があるが、この時代、UK B-BOY も BOTY も、コンテストの方法は以下のようなやり方であった。

 

1.まず、全チームがダンスのショーケースを披露する

2.そのショーを元にジャッジが1位から4位を決定する

3.3位対4位、1位対2位でバトルを行い、優勝から4位までを決定する

・・・というやり方である。

 

要するに、最初のショーケースで上位に食い込まない限りは、バトルに参加する事もできないのである。

Spartanic Rockeres の日本人メンバーは、当初の俺の構想から、POPやLOCK、時にはHIPHOPやHOUSEなどのダンススタイルも取り入れてショーを作るという、世界的にも珍しいB-Boy Crew であった。

一方スイスのメンバーはB-Boy以外は全くの経験なし。それでもレミーやモンティーは日本で一緒にショーに出た事もあるので、多少は心構えがあるものの、ZEDは初めて一緒に踊るし、彼も同じく他のダンススタイルの経験は全くなかった。

ちょっと想像していただきたいのであるが、ブレイクしかやったことがない人に1週間やそこらでPOPやLOCKなどが含まれる振付を教える事の大変さ。

そしてそのZEDが抜ける場合は、振付や段取りを大幅に変更しなければいけなくなる。

我々日本人メンバーは踊りに慣れているから対応可能だが、レミーやモンティーも段取りや立ち位置、振付の変更に対応しなければいけない事は彼らの負荷が大きく、とてもリスキーである。

 

そして、我々の目標はバトルでの勝利である。

という事は、振付の練習以外にバトルの練習も必要であった。

98年に日本人初の優勝を飾った、UK B-BOY CHAMPIONSHIPS において我々が優勝できた理由の1つに、バトルルーティーンがあった。

JOとGOという2人のメンバーを欠いてしまっている我々にとって、恐ろしいほどのスキルを持つ世界のB-Boy達を相手に、この要素を除いてバトルに勝つという事は至難の業である。

1999年当時、GO(植木豪:写真センター)はPani Crew の活動のため、大阪に移住しており、Spartanicの活動をする事は不可能だった

 

ZEDはもちろん、RemyやMontyに達踊りを覚えてもらうのも相当な困難が予想される上、人数変更の為の振付や段取りの変更、そしてバトルの為の練習。

これら全てをこなす事が不可能だと考えた俺は、苦肉の策としてZEDの代わりとなるいわゆる「代役」を誰かに頼もうと考えた。 


我々Spartanic Rockers の最大の特徴はショーやバトルで見せる、組になったルーティーンである。

これは、メンバーが複数人、複雑に組み合わさった流れで見せる踊りである。

その複雑さゆえに、メンバーが欠ける事によって実現出来ないルーティーンも出てくるし、また人数変更によってルーティーンを変更するのは多くの知恵と労力を消費するものであった。

 

その為Spartanic Rockersでは、スケジュールの関係上メンバーに欠員が出てしまった時は生徒や、仲のいい知り合い等に頼んで、「代役」として入ってもらう事を時々していた。

人間関係が強くある人達に「代役」でお願いするというやり方である。

 

これは「チーム」のメンバー1人1人を大事にするために、自分がずっと守ってきている方針である。

世の中には離合集散しているチームが多々ある。

はたから見ていると、それはバトルやイベントの為に集まった人達であって、そういう機会が無くなると、チームとしての活動を続ける意図も無くなってしまうからだと思う。

特にバトルに勝つために集まった「上手い人たちだけの集まり」というのは、すぐにバラバラになってしまうようで、そういうケースを多々見てきた。

 

自分がやりたかったのはその時だけの集まりではなく「チーム」である。

当時の自分は、人に焦点を置いた「チーム」の大切さが分かる程度大人になっていたので、チームのメンバーを新たに加えるという事に関しては常に慎重に行動していた。

だから、欠員がいた時に気軽に新規メンバーを迎えるという事はせず、逆に割り切って「代役」として近しい人にお願いするというやり方でピンチを乗り切ってきたのである。

*このアジアバグースの国内撮影の時のKATSUYOSHIもGOが抜けた穴を埋めてもらう為にお願いした「代役」でした。


 置かれている全ての状況をかんがみて、今回も俺は「代役」を頼もうと考えたのではあるが、この決断と人選には相当な精神的負荷があった。

それはこの「代役」が世界の大会での事であって、都内のイベントに出るレベルとは大きく違うという事である。

「代役」を頼まれた人は、わざわざ海外まで行く必要があるし、スイスのメンバーと一緒に練習をするため、自分が出場できないBOTY前の練習にも参加しなければいけない。

そんな大変な事をこちらの都合で簡単に頼むなんて事なんて出来ないし、果たしてやってくれる人がいるんだろうか・・・

 

しかし大会は日々迫ってくる!

悩んだ末俺は、今回「代役」を誰かに頼む事、そしてその重い「代役」を誰に頼めばいいのかをツヨシに相談する事となる。

 

End Of This Story
To Be Continued


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はじまり Spartanic Rockers Story Vol.001

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1999年、再び世界の大会へ・・・ Spartanic Rockers Story Vol.050

Spartanic Rockers Story 一つ後のぺージ

日本人メンバー6番目の男 Spartanic Rockers Story Vol.052