俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.041
会社 辞めます!
ドイツで行われたBattle Of The Year にて、驚異的なB-Boyのムーヴを目の当たりにして、このままではとても彼らにかなわないと思った俺は、会社を辞めてBreakin’に専念しようと考えた。
帰国後、まだ実家暮らしだった俺は、すぐに両親に決心を告げるとともに、会社でも辞職の意思を表明する。
母親は退職して本当に大丈夫なのかと、とても心配した。
父親は意外にも俺の決心に反対はしなかった。
自分は当時、既にに30才になっていた。
社会的には、何をいまさらダンスで会社を辞めるなど・・・
という話になるのかと思うが、自分的にはその逆で、ここでやらなければ後はないという気持であった。
会社の人事部に相談に行くと、当時の人事部の担当者の方は、退職ではなく、休職をしたらどうかと勧めてくれた。
休職中は給料が出るわけではないが、会社に籍を置いておけば、1年後目的を果たした後にまた復職することすることができる。そのほうが良いのではないかと言うありがたいお勧めであった。
実は、もともとダンスで生計を立てる気持ちなど微塵もなかった俺は、このありがたいお勧めに甘えて、辞職ではなく休職扱いで会社を1年間休むことにした。
休みの理由はもちろんジェラルドのような恐ろしくハイスキルのB-Boy達に勝つための練習をするためである。
会社の仕事にとらわれることなく、思いっきり練習のために時間を使って、そして大会に臨むことで次回のバトル・オブ・ザ・イヤーの大会で優勝目指そうと決心した俺であった。
俺はダンスが、特にBreakin’がめちゃめちゃ好きであった。
仕事の合間とか、歩いている時とか、あらゆる時に暇さえあればダンスの事を考えていた。だから、この時間的な制約の多い生活で、練習を続けていく大変さから解放され、丸一日練習のために時間を使えるなんて最高だと考えていた。
しかしながら、やってみてわかった事ではあるが、朝から晩まで練習なんてできたもんじゃない(笑)
ブレイキンの練習は体力的にも非常にきついものではあるが、昼間、仲間もいない状態で、一人きりできついパワームーブの練習をやり続ける事は相当に強い意志がないと出来ない事であった。
故ビーバップクルーのよし坊さんは、俺にこんな話をしてくれた事がある。
「ミヤ(俺の事)、俺は本当にダンスがすいとーったい。」
同じチームの佐久間さんも、同様に本当にダンスが大好きな先輩であった。
それは普段から接しているうちにひしひしと伝わってくる。
参照記事:
俺はダンスが好きではあるけれど、佐久間さんやヨシ坊さんに比べると、きっと足元にも及ばないのだなぁと言うことがこの時実感として分かった。
ともかく朝から晩まで、日がな一日練習をする事が出来ないという事が分かった俺、はチームや後輩達と練習できる時間を有効に使って練習する方法に変える事にした。
ちょうどその頃、とある先輩が、関西から東京へ進出し、芸能や映像等の事務所を開設するという話があった。そして、俺が昼間の間、時間的に余裕があると知った先輩から、自分の仕事を手伝うようにとお誘いいただいた。
次の年のBOTY優勝を目指して、練習をするために会社を辞める事を決意した俺は、練習が出来なくなると会社を辞めた意味がないので最初は先輩のお誘いをお断りした。
先輩は、練習時間はきちんと確保していいので、その時間内でとにかく手伝いにくるようにとおっしゃった。
既に、スタジオ・フェイスというダンス・スタジオの運営もしているし、夜は必ず練習に行く。それもでいいから仕事を手伝うようにというのは、よく考えるとむちゃな話ではあるが、(その先輩はかなり型破りな方なので)俺は昼間の練習していない時間をそちらの事務所での仕事のお手伝いさせていただく事になった。
ここでは都内某所にある事務所で仕事をしながら、夕方以降は練習に向かうと言う毎日に変わっていった。
さて、我々SPARTANIC ROCKERS には、自分の生活の変化以上に大きな変化が起きていた。
それは、豪の活動である。
豪は大阪から東京に移住してきたわけだが、大阪在住はPoppin’のチームで活動をしていた。
参照記事:
そんな豪は古巣、大阪のチーム3D CONNECTION & NEW POWER Gとして、この年の8月に開催された全国規模のダンスコンテスト JAPAN DANCE DELIGHT(ダンス・ディライト) へ挑戦していた。
そして、見事優勝!!
この優勝からの流れを受けて、大手芸能事務所アミューズからのメジャーデビューの話が持ち上がっていた。この話を受けて「3D CONNECTION & NEW POWER G」はデビューに向けて組織されるPANICREW と 3D CREW に分かれて活動する事となる。
豪は仲間たちより拠点とする大阪に呼び戻され、PANICREW としての活動を本格化することとなる。結果、SPARTANIC ROCKERS としての活動は事実上休止となるわけだ。
*この大人数のPoppin’はすごい迫力です!1998年当時の3D CONNECTION & NEW POWER G
こうして4人となったSpartanic Rockers の元に、
DANCE DELIGHT(ダンス・ディライト)を運営しているAD HIP(アドヒップ)のマシーン原田さんから、新しいイベントへのお誘いをいただく。
このイベントは、現在POP、LCOK、BREAKIN’とOLD SCHOOL 全てのジャンルを網羅し、最高の盛り上がりを見せている「OLD SCHOOL NIGHT」の第一回目の開催であった。
このイベントにて、SPARTANIC ROCKERS は当時大阪で絶大な人気を誇るBRONXというチームとのエキジビジョンバトルをして欲しいとのリクエストだった。
End of The Spartanic Rockers Story Vol.041
To be continued
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