俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.5
「誕生 Spartanic Rockers Japan !!」
Spartanic Rockers(スパルタニック・ロッカーズ)に出会うためのニューヨークへの旅。メインとなったロックステディクルーのパーティーが終わった後の何日か、俺はスパルタニックの2人といろんな話をし、一緒に練習をしたりして過ごした。レミーもモンティも凄いいい性格で、話しの分かる奴らだった。そして日本人では考えられない巨体にもかかわらずそのスキルの高さにはかなり驚かされた。アメリカのB-Boy達とも違う、独特なヨーロッパのスキルやフレイヴァーに生で触れた俺にとっては貴重な体験であった。一緒に過ごした数 日の後、彼らは俺よりも一足先にN.Y.を後にする。
ともかく、俺達はいい友だちとなって分かれたが、この時はまだスパルタニックに入ることになるとは全く思っていなかった。俺とケイはその後の数日間を、買い物をしたり、地元のチームのステフィンズと一緒に練習したりして過ごした。
帰国後も、俺とレミーはメールを交換していたが、9月のある日、レミーからこんなメールが届いた。
「タケオ、日本にもスパルタニック・ロッカーズを作らないか?」
唐突の誘いに俺のほうが驚いた。
そして考えた。
彼らは上手いが、世界トップレベルのチームでもないし、有名でもない。というか日本では全くの無名だ。これも後から知ることだが、スパルタニックロッカーズはかつてヨーロッパではかなり有名なチームだったが、メンバー不足等の理由からしばらく公で活動することがほとんどなかったため、若手のB-Boy達の間での認知度が低くなっていたのだ。
現にメンバーのゼッドはかつてのスイスチャンピヨンであり、モンティもヨーロッパチャンピヨンシップで優勝した経験を持っている。
しかし、俺にとっては全くの無名チーム。そういう意味からも、海外のチームだからといって、そこに入りたいという「あこがれ」のような感情はなかった。
長い事この種のダンスをやっていると、いくつかのチームでダンスをやるチャンスに恵まれるものだ。最初のころに誰もが犯す間違いは、チームメイトをダンスのテクニックでのみ選んでしまうということだ。それは、バトルで勝ちたいとか、凄いショーをやりたいとか、そしてそれらの結果シーンで名前を上げて有名になりたいとか、そういう心理の元に行われる行為である。しかしながら、何でもそうであるが、人間同士の付き合いでベースとなるのは個々の人間性であり、決してダンスの技術ではない。10年以上もこの世界でやってきて、幾つかのチームを経てきた俺は幸いにもその事を良く理解していた。
俺はスパルタニックが有名だから入りたいとか、上手いから入りたいからとかは思わなかった。ただ、レミーやモンティがとてもいい人間性の持ち主であり、特にレミーとは、何か月もの間ほとんど毎日行っていたメールのやり取りで、強い信頼関係が出来ていた。そう意味ではすぐにO.K.の返事をしてもいい状態であったが、即答は出来なかった。
俺が即答しなかったのは、活動の仕方に関して考えをまとめるまでに時間がかかったからである。
結局1週間ほど悩んだ末に俺はレミーにこんな返事を出す。
「スパルタニック・ジャパンを作るんじゃなくて、スパルタニックのメンバーになるのであれば、俺も参加したいよ。」
当時世界にはいくつかインターナショナルなB-Boyチームがあったが、それが名前だけで 形骸化している場合も少なくなかった。
活動を共にすることはほとんど無いが、ただ名前を共有することに果たしてどれだけの意味があるのだろうか?常々そう考えていた俺は、何千キロ離れていようが、あえてそのような返事を出したのだ。
レミーからの返事はもちろん、O.K.だった。
スパルタニックの火が、たった1つ日本にともされた瞬間であった。
こうして、俺はスパルタニックロッカーズのメンバーとなった。
たった一人ではじまった日本のスパルタニック・ロッカーズ。チームに入ったからといって特に何をする訳でもなく、目標があるわけでもなかったが、俺の心の中では、このチームの一員となったからには、気合いを入れて頑張ろうという心境の変化があった。
遠く離れていようが、スイスのメンバーから見て「こいつはさすがだ」と言われるようにならなければという気持が強くあった。
しばらくしてからスイスから ビデオが届いた。それは、スパルタニックの歴史を1本にまとめたものだった。(当時はまだVSHが主流でありDVDはまだ存在しなかった)。ビデオには、かなり古い映像から最近のものまで、まだ見ぬメンバーのゼッドやジェームスや創始者デフ・ アイス等の踊りが含まれていた。アメリカのスタイルとは全く違うヨーロッパのブレイキング。そして巨体を自在に操る彼らの映像は俺のやる気に拍車をかけた。しばらくは深夜に及ぶたった1人の孤独な練習が続いた。
夜中のスタジオで1人、孤独に練習を重ねていた事を俺はきっと忘れないだろう。何度も何度も繰り返し、出来ない技に挑戦した。スパルタニック・ロッカーズの一員として恥じないようにという気持に支えられて・・・・
End of The Spartanic Rockers Story Vol.5
To be continued
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