B-Boy Strom Vol.2(Battle Squad/Germany)

世界の重要なダンサーを紹介する
Super Dancers 列伝!!

ヨーロッパのB-Boyシーンを支え続けた男
B-Boy Storm Vol.2


Storm,Float, Swift Rock(2018)

ドイツが生んだB-Boy界の超重要人物、Storm(ストーム)。
この記事は、彼からじっくり聞いた興味深いストーリーの数々をまとめたものです。

*この記事は後半です。是非前半からお読みください。

前半の記事はこちら
http://s-faith.com/miyatatakeo/dancers-story/storm-v1/


Takeo(以下T):ダンスに目覚めたキッカケは何ですか?
Storm(以下S):俺の姉はジャズダンスをやっていたし、母は常にキッチンで踊っていたよ。

俺は宿題をキッチンのテーブルでやってたんだけど、そんな時母親はいつも料理しながら踊ってた。ラジオに合わせてね。時々は俺のことを一緒に踊ろう!って誘って歌いながら踊っていることもあったよ。俺が他の人よりも踊りが上手くなるのが早かったのは、リズムについてよく知っていたからじゃないのかな。毎日のように母親が踊っているのを見ていたからさ。父も歌や踊りが好きで、車の中ではいつも大声で歌っていたよ。そんな家族に小さい頃から影響されてきたんだよね。

 

13歳の時父親が家を出て、母親はアルコール漬けになってしまった。

それから俺は旅をするようになった。

 

当時インターレールと呼ばれるチケットがあったんだ。ヨーロッパの電車はどんな電車でも1ヶ月間乗り放題だったんだ。89年から99年の間はね。そのチケットを買ってヨーロッパ中旅して回ったんだ。俺たちは電車の中で寝て移動したよ。そして踊って、また電車の中で寝て帰った。まるでバックパッカーのような生活だったね。


T:インターレールというチケットは今でもあるんですか?
S:もう無くなってしまったよ。グラフィティのせいで、そのチケットは無くなったんだ。

当時のグラフィティライターはそのチケットでヨーロッパ中を旅して、小さな村にまでグラフィティを描いて回ったんだ。そこら中いたる所にグラフティが描かれた事が原因で、そのチケットは無くなってしまったんだ。


T:何か思い出に残るエピソードがあったら教えてください。
S:面白い話なら沢山あるよ。


  • エピソード1
    1991年にバトルオブザイヤー(ドイツのブレイクイベント)に行った時テレビ出演を頼まれたんだ。俺達は快く引き受けたはよかったんだけど、なんとテレビ局にショーの音源を忘れてきてしまった。そのことにBOTYの会場で気付いて、どうしようかあたふたしていたんだ。そうしたら「JBK」っていう知り合いのDJやってきて、俺の肩に手を置いて「大丈夫、俺にまかせろ」ってうなずくんだ。(これが何の根拠も無い「大丈夫」なんだが)彼は俺達のショーの出番がやってくるとある曲をかけてくれた。それが「ドゥビィブラザーズ」の「ロング・トレイン・ランニング」という曲だったんだ。俺達はショーのその時初めてその曲を聴いてこう思ったよ。「えぇー、これはHipHopじゃなくてRockの曲じゃないか!」ってね。これがドゥービィがB-Boyの中で使われた最初だったんだ。

(*この後、ヨーロッパでは頻繁にLong Train Running が使われるようになる。恐らく、BattleSquad が使っていた曲だから間違えない!という認識からだと思われる。)

俺達は曲が違うから、作ってきたショーは出来なかったので、とりあえずソロだけ踊ったよ。他のチームは10分とか15分のショーをだらだらとやっていたけど、俺達のショーはたったの2分30秒!初めて聞いたRockの曲で!それで俺たちは勝ったんだ。

今でも忘れないよ、「JBK」が俺の肩に手を置いて「大丈夫だ」って深くうなずいた光景をね!!(笑)

*1991年、Battle of The Year でのBattle Squad ショーケース。曲を忘れてきてしまった彼らに知人のDJがかけてくれた曲は・・・


  • エピソード2
    92年に俺達は初めてスウェーデンに行ったんだ。地元のMTV主催のHip HOP Championshipsというイベントがあったからそれに出に行ったんだよ。俺たちはダンスのイベントかと思って行ったんだが、そうしたらそれはミュージシャンのためのイベントだったんだ。つまりほとんどがRapperによる、コンテストイベントだったんだ。

会場入りすると、スタッフに「リハーサルが必要だろ」って聞かれたんだ。俺達はチラッとステージを見て、十分なスペースだったので「OK」とだけ答えたよ。
「サウンドチェックは?」と聞かれので、マイクに向かって「あー」って一言しゃべって、そして「OK」って答えた。彼らは俺達の事を完全にRAPグループだと思っていたんだ。俺たちのショーが始まるまで、誰一人として俺達のことをダンサーだと思っていなかった。

そう、始まるまでね(笑)。

俺たちは音楽がかかったらすぐにマイクスタンドをステージの端にどけて、踊りだしたんだ。客だけじゃなく、参加者もみんなびっくりしていたよ。スウェーデンの観客は俺達のスローモーションムーブも初めて見たんだ。
(*Battle Squad は、激しく動くショーの最中に突然スローモーションの動きを入れて観客を楽しませていた。)

実は俺達は2人(StormとSwift)でショーをやることが多かったから、とても体力が持たなかったので、この動きを考え付いたんだよ。とにかくいつものように俺達はとっても早くパワームーヴをやった後、突然ゆっくりとしたスローモーションムーヴに移行したんだ。そうしたら見ている人たちの驚いたことといったら無かったね。もう観客の歓声で、音楽が聞こえなくなるぐらいだったよ。そしてとどめはヘッドスピンだったね。俺は既にエンドレスでヘッドスピンが出来たんだけど、誰もそんな動きを見た人はいなかったんだ。皆は空いた口がふさがらなかったよ。

T:ではそのコンテストでは優勝したんですか?
S:知らない。ショーが終わったら俺達はすぐに帰ってしまったから!!


T:BattleSquadが全盛の90年代は世界的にB-Boyは冬の時代でしたよね。
S:91年に俺たちはB-Boyを探してN.Y.に行ったんだ。その時もうどこを探してもB-Boyはいなかった。唯一クイックステップ(FULL CIRCLEのリーダー)だけがブレイクを続けていたんだ。彼は俺達のファッションを見て向こうから話しかけてきたんだ。俺達は当時もまだバリバリB-Boy、85年当時の格好をしていたからさ。(笑)


T:そんな世界的なB-Boyシーン冬の時代の中で、何故あなたのチームBattle Squadは高いレベルのパフォーマンスと技をマスターする事ができたのでしょうか?
S:俺たちは箱の中にいなかった。(敢えてStormの言葉を直訳しています。We are not in the BOX!)。皆箱の中から出ようとしないんだ。

俺が中学生の時、学校の授業の中でドイツの国政について話題になったことがあった。当時はまだドイツは東と西、共産圏と民主主義圏に分かれていた。俺が東西統一の可能性について話をすると、先生は「そんな事は絶対にあり得ない」と言ったんだ。俺が「何故あり得ないと言えるのか」と反論すると、先生は「君は政治の事を何も分かっちゃいないね」と言ったんだ。「先生がそれほど政治の事がよく分かってるんなら、何故学校じゃなくて政府で働いていないんだい?」って言い返したけどね。先生は怒ってたよ。それからほんの数年後さ、東西ドイツは統一を果したんだ。

その時俺は既に学校を卒業していたけど、わざわざ人づてに先生の電話番号を調べて電話したんだ。「あの時の事覚えてますか?」ってね。

先生は、「あの当時は今のような状況はとても考えられなかった。」と答えたよ。俺は先生に言ったんだ。「あなたは自分でルールを決めようとしている。箱の中にいるのはやめてくれ!」ってね。

皆自分の箱の中から出ようとしないんだ。だからそれ以上の事が出来ない。
俺たちは常に箱から外に出ようとしてきた。
ただそれだけさ。


編集後記:

東西ドイツが奇跡的な統一を果した後、先生の電話番号をわざわざ調べて電話をかけたストームの気持ちに俺はとても感銘を受けた。彼は、自分のプライドを傷つけた先生が許せなかったのではなく、教育者であるべき先生が、まだ若い生徒の気持ちを”箱”の中に閉じ込めようとする事が許せなかったのだと思う。恵まれていたとは言いがたい彼の家庭環境も、結果的には「STORM」というB-Boy界の偉人を作り出す肥やしとなった。ドイツが生んだまれに見る天才B-Boyを作り上げたのは、飽くなきトレーニングだけではなく、その深い思想に裏づけられている。


END OF THE STORY ABOUT B-Boy Storm


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