B-Boy Strom Vol.1(Battle Squad/Germany)

世界の重要なダンサーを紹介する
Super Dancers 列伝!!

ヨーロッパのB-Boyシーンを支え続けた男
B-Boy Storm Vol.1


ドイツが生んだB-Boy界の超重要人物、Storm(ストーム)。Battle Squad(バトルスカッド)というチームで相方SWIFT ROCK(スウィフトロック)と活動し、世界に多くの影響を与えてきた。B-Boyだけではなく、LOCKやPOPなど、OLD SKOOL 全般に精通し、ヨーロッパのダンスシーンを長年支えてきた人物である。その実績と信頼感より、現在は世界各国で行われている様々なバトルでジャッジを務めるなどの活動を続けている。

自分は海外のイベントでのジャジでよく一緒になり(何故かだいたい隣の席)バトルやムーヴについて話し合うだけでなく、いつも日常的にいろいろな情報交換をしている。

80年代後半から90年代半ばまでB-Boy冬の時代においても進化し続け、世界に影響を与え続けたStorm。
この記事は2006年に来日したStormに自分がじっくりと聞いた多くのストリーを要約、再編したものです。いつまでも色褪せないStormの感慨深い話を是非最後まで読んでみてください。


Takeo(以下 T):まずダンスを始めたきっかけを教えて下さい。
STORM(以下 S):ダンスを始めたのは83年の事。俺が13歳の時だ。当時、ベルリンで行われたJAZZフェイスティバルにN.Y.からマグニフィシャントフォース(Mr.WigglesやFABLEなどがいたダンスチーム)がゲストパフォーマーとして来た事があるんだ。

俺はライブで見たわけではなく、テレビで見たんだけど、とても衝撃的だった。当時のドイツでは多くの人達がそのショーを見てブレイクをやり始めたんだ。映画「フラッシュダンス」がドイツで公開されるほんの数ヶ月前の出来事だったよ。その後、同じくこのパフォーマンスを見て感動した近所の若者と練習を始めるようになったんだ。


T:StormとSwiftのコンビが有名なBattle Squadはいつごろ結成されたんですか?
S:チームは1987年にスタートしたんだ。もともとはSwiftがはじめたチームなんだよ。

彼はB-Boyを求めてアメリカを訪ねたんだけど、当時は既にアメリカでB-Boyは下火で、なんと2ヶ月間滞在中に探し続けたけど、誰にもめぐり合うことが出来なかったんだ。帰国したSwiftは地元でチームを作ろうと思ってBattle Squadをスタートさせたんだ。当時はインターナショナルなチームで、ドイツから俺とスウィフト、イタリアからエミリオとマウリィティオ、そしてスイスとフランスからも2人づつメンバーがいたんだ。

しかし問題はお互いのコミュニケーションにあった。俺たちは基本的に英語で意思疎通をしていたんだけど、フランスの奴らは英語を理解できなかったんだ。そこでスイスのメンバーがフランス語でフランスのメンバーとコミュニケーションをとっていたんだよ。しかしある時スイスのメンバーがチームを辞めることになったんだ。そうしたらコミュニケーションが取れなくなってしまって、結局フランスの連中ともその後はやらなくなってしまった。


SwiftRock&Storm

T:Swiftはもうダンスは止めてしまったんですか?
S:いや、彼もいまだにダンスは続けているけれど、ダンスのプロフェッショナルとしての活動は既に96年にストップしているんだ。彼はハムストリング(モモの裏の筋肉)に問題を抱えていて、思うように踊れなくなってしまったんだよ。

彼はダンスに対して真剣に取り組んでいただけに、ケガで踊りをシリアスにできなくなった時はすぐに俺に言ってきたよ。メンバーのSPEEDY(Stomの実弟)はグラフィックの仕事をしているんだ。彼は今までダンスをプロフェッショナルの仕事にしようとしたことは無いよ。彼は結婚して子供も2人いるし、家を長いこと離れる事もできないんだ。

結局僕はソロで踊ることがとっても多くなってきたんだ。


T:Battle Squadは当時のヨーロッパでは際立って高い技術とダンスを習得していましたが、それはなぜたと思いますか?
S:練習だよ。
練習に練習。
他に理由は考えられないよ。

俺の家は家庭環境にあまり恵まれてなかったから、心の行き場が無かったって言うのもあるかもしれない。だから俺は若いうちに既に「俺はダンスで生きていくんだ」と決心したんだ。それから俺とSwiftはHip-Hopを求めて旅して回った。ダンサーの噂を少しでも聞けば俺たちはすぐに列車に乗り込んで、彼らに会いに行った。

例えば、スイスのチューリッヒにジャジーロッカーズというチームがいるという噂を聞くとすぐスイスを訪ねた。彼らとバトルをし、そしてその後仲良くなった。そして、彼らのナイスムーヴを見たら「どこからそのアイデアを思いついたんだい?」って必ず質問した。とってもたくさん話をしたよ。そして話をする事で多くのB-Boy達の「考え方」から影響を受けたんだ。

今のB-Boy達は他のB-Boyのムーヴをビデオで研究して、そのムーヴをただ真似するだけで、なんでそのムーヴが生まれたのか考えないけれど、それを知ることが大切なんだ。例えばこの動きはカンフーから来ているとか、そういうバックグラウンドを学ぶことが大切なんだよ。

俺たちはとりあえず噂を聞けばすぐに飛んで行ったから、行った先で何も見つけられないって事もよくあったよ。ひどい時なんて8~9時間も電車に揺られて噂の場所を尋ねても、結局何の情報もないので何も見つけられなかった事もあるよ。それで、また8時間も電車に揺られて帰るんだ。その道中の長い時間、俺達は踊りについておしゃべりを続けたよ。何を感じたか、俺たちはどうしたいのか、そんな事についてとにかく話し続けた。

それも俺たちの上達が早かった理由の一つかもしれないね。

マウリティオ(a.k.a. Next One:イタリアを代表するB-Boy)に始めて会ったのもそんな旅の先でのことだった。彼を最初に見た時の事は今でもよく覚えているよ。87年の事さ。お金が無いのでヒッチハイクでフランスのイベントに行ったんだ。会場の近くまでなんとかたどり着いたのはよかったが、実際イベントが行われている会場はどうにも探し出せなかった。道端で途方にくれていると、「もろB-Boy」って感じのファッションをした人達が乗った車が俺達の前に止まったんだ。彼らは俺たちに「君らB-Boyかい?」って聞いてきた。俺たちはアディダススーパースターに、カンゴールをかぶっていたんだ。そう、昔は格好を見ればB-Boyかどうかわかったんだよね。それで彼らに会場まで連れて行ってもらったんだ。マウリティオにはそこではじめて会ったんだけど、彼の迫力ある踊りに思わず一歩引いてしまったよ!!


T:当時のドイツには他にも凄いB-Boyはいましたか?
S:83年ごろ既にA-TRACKSを何周も回るB-Boyもいたよ。

ベルリンのB-Boyシーンは急速に大きくなっていったんだ。何故かって言うと、俺達ベルリンのB-Boy達は割と早い時期に気がついたんだ。ヒップホップが自分たちをギャングライフから救ってくれる物だってことにね。ベルリンは暴力問題が常にあったよ。だからHipHopをよく知らない人達がHipHopのイベントをオーガナイズした時は決まってもうHipHopのイベントはもうやりたくないって言ってた。ヒップホップのシーンにいる、リスペクトされるべき人間がオーガナイズしていないと、参加者の行動を抑えることは出来なかったのさ。


Storm Vol.2 に続く
http://s-faith.com/miyatatakeo/dancers-story/storm-v2/