TKOのアメリカ紀行 Part 4 After WOD 2019

さて、今回の渡航のメインのミッションはもちろんWODの大会のサポートでしたが、実は個人的にはもう一つ大事なミッションがありました。

それは、アメリカに移住した我がチーム、スイスのSpartanicRockersのメンバーRemy(レミー)に会いに行くことです。

彼が住んでいるのはコロラドのデンバーというところ。アメリカの内陸、ほぼセンターに近い場所です。LAからだと飛行機で2時間半程度の場所にあります。

大会終了後、帰国まで1日しかなかったため、正にとんぼ返りのスケジュールです。

朝6:30の飛行機をブッキング。

空港は宿から近い、サンタアナを利用したのですが、初めての空港のため、念のために5時に宿を出て空港に移動しました。

前日の夜もミィーティング等で相当遅い時間になったので睡眠は約2時間。

忙しい状態で、更に忙しさに拍車をかける事が起きます。

それは日本のテレビ番組からのコンタクト。

バブリーダンスで有名になり、なにかとメディアで取り上げられている登美丘高校ダンス部、通称:TDC。

今回も朝の情報番組でこのTDCの大会での動向をレポートすべく、準備が進められていたようでした。

番組のスタッフは、自分が同行しているのをSNSなどで確認し、情報をもとめてコンタクトしてきたのです。SNSでメッセージを送ってきた他、自分のやっているスタジオフェイスというダンススタジオにもコンタクトしてきました。日本のスタッフから連絡をもらった俺は、これに対応。番組スタッフは次の日の朝に放送する番組の情報収集のため、時間に追われた対応をしております。

朝4:30に起きて移動しようとする自分にも何度も連絡を入れてくるような状況でした。

忙しいからと一旦電話を切って、空港でチェックインをしてからまずはラインでやり取り。

大会の感想や、日本チームの強さの秘密についてLINE上でインタビューを受けます。

それに対して返していると、今度は、資料に使う写真があるかというリクエスト。

俺は写真を持っていたが、主催者ではないので、主催に確認してから写真を送るなどの作業をしているともうすぐ搭乗時間に。

搭乗直前には俺のダンスに関する見解が分かりやすいのでこれを録音してテレビ放送で使いたいから、電話できませんか? との連絡。

もう搭乗が始まるなか俺は搭乗の列に並びながら電話でインタビューに応える。インタビューが終わった直後に機内に乗り込むという慌ただしさ。睡眠も2時間程度だったのでこのバタバタで相当疲れて機内に乗り込んだ俺は到着までの2時間半ほどの時間は寝るでもなくなく、起きるでもなく、ずっとうつらうつらした状態で過ごしました。

このボーっとした状態がまたまたヒドイミスを巻き起こします。

 

デンバー到着。

我が友、Spartanic(スパルタニック)のチームメイトRemy(レミー)が空港まで迎えに来てくれた。

 

彼がいたから俺はSpartanic Rockers に入ることになった。


そのきっかけをくれた男です。

はじまり Spartanic Rockers Story Vol.001

スイスからアメリカに移住してから会っていなかったので、会ったのはほぼ10年ぶりぐらいだと思う。ネット社会だから、SNS等で割と頻繁にやり取りしているのだが、やっぱり実際会うのと会わないのはだいぶ違う。

アメリカ移住後に生まれた娘さんにも初めて対面!

とってもスマート(頭のいい感じの)かわいい女の子です。

レミーはB-Boyながらスイスでは化学系の学科の大学院で学位も取得しているインテリ。そのキャリアも活かしてアメリカの某有名ネット企業に就職してアメリカに移住してきた。アメリカで生まれた娘さんの誕生を機に、よりよい生活環境をもとめてデンバーに移住したのである。

 

彼の住む場所は自然の多い環境で、山や湖までも車で数十分で行ける。

大きくも小さくもない街で、必要なものは何でもそろう。

空港までは数十分で空港からは全米あらゆる地域の他、国際便も飛んでいる。

職場までも車で10分程度で到着する。

そして治安も良く、落ち着いた環境。

 

レミー曰く、これ以上の環境は想像できないほど素晴らしい場所であるという。

俺は1日しか滞在しなかったが、それでも実感できるようないい環境だった。

レミーは犬を2匹飼っていて、俺はレミーの家族と一緒に散歩に出かける。

家から5分ほど歩くと小高い山へ。

山の散策コースをたどれば頂上までたどり着ける。

そんな素晴らしい環境。

 

散歩コース中、家のそばでは野生のウサギに何匹も遭遇することができた。

そんな自然豊かで安全な環境は確かに生きていくのには理想的な環境かもしれない。

 

レミーは朝8時には出社し、4時ぐらいには退社して帰宅するという。

もともと移住当時はLAに住んでいたレミー。

LAでは自分も含め、出社も退社も遅かったようだ。

でもこの町、デンバーでは多くの人は朝早くから仕事をはじめ、その分早く退社していくようだ。

そして家族と過ごす時間を多く持つ。

「人間らしく暮らす」という選択をレミーはしているのだと思う。

自分の生活についても改めてとても考えさせられた。

レミー一家訪問の翌日俺は朝の飛行機に乗って、LAはLAXに直行。
そこから帰国組と合流して日本への帰路についたのであった。

ところで、俺はレミー一家訪問時に大きなミステイクを犯しておりました。

レミーの家について、昼ご飯を買いに行こうという話になったときに気づいた。

「財布がない!」

いくら探しても見つからない。

どこかで無くしてしまった!!!

 

最後に使ったのを覚えているのは、デンバー移動時のサンタアナの空港の構内のマクドナルドであった。例の取材攻勢に応えるべく、MCの朝食を注文すると店内でPCをつかって情報のやり取りをしていたのであった。

 

その後の事は正直全く覚えていないが、自分の行動的に、MACの店内に忘れたか、もしくは飛行機の中に忘れたのかの2択しかない。

 

一旦両方に連絡。飛行機に関しては公式な受付から返答までは一定の時間がかかるという話で待つしかなかった。

空港のMACは一度電話で連絡したが該当品は無いという回答だったので、友達に頼んで空港に再度連絡してもらい、同じく回答待ちとなった。

ということで俺は所持金ゼロ円で、帰国(笑)

ただ、カードは2枚だけ財布に入れて、その他のカードや免許証は全て取り出しておいたので被害は割と少なかった。手元に分けていた別のカードを使って帰宅した。

用心がよかったのか悪かったのかはよくわからない。

無くしたときのために用心するぐらいなら、無くさないように用心すべきだというのは正論だが、現実、自分はそういう人間である。

財布を無くすという事は実は過去1度だけだが、家に忘れて出てきてしまうというのは数えきれないほど経験しているのである。

よって、そんなことが起きた時のために、いつも事前にいくつか対策をしているのである。

今回は海外という事で盗難等のリスクも考えて現金とカード2枚だけを残して他のカードや免許証などは全て財布から出しておいたのだ。

まぁそれは置いておいて・・・

 

俺の個人的な感情としては、何故か、財布は戻ってくるという予感がしていた。

だからあまり落ち込んではいなかった。

ただ、危険だから財布に入れていた2枚のカードは利用を停止し、再発行の手続きをした。

紛失してから4日ほどたっても連絡がなく、

「あら、もう戻ってこないのかなぁ・・・」と思い始めた矢先、5日目に発見の連絡。

連絡は航空会社からであった。

事務的な連絡のため、発見された場所や、財布の中身等に関しては不明だが、とにかく日本への輸送の手続きをとり、到着を待ちました。

その後財布が航空便で到着(送料はそこそこかかります)

 

肝心の中身は現金も含めてすべて無事でした。

この件を経て、大事なもの、管理を更に徹底することを心掛けるように反省いたしました。

この件でさんざんご迷惑をおかけした方には本当に申し訳なく思っています。

 

そんなこんなのアメリカ紀行。

今回も最後までバタバタ!

しかしながら得るもの沢山!!

ダンスの事も人生の事もいろいろ考えさせられる旅でした。

お世話になった皆さま、ありがとうございました。

END OF THIS STORY


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