5 TWONS STREET DANCE CONTEST Spartanic Rockers Story Vol.057

俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.057

日本初?の町主催のダンスコンテストにて

世界初?の難題に挑む!!

*TOP の画像
上段左から TOMO、TSUYOSHI、佐久間、俺(TAKEO)
下段左から YOSHI、ACTION、SPECIAL-K

韓国から戻ったオレ達を待っていたのは石川県金沢市のイベントであった。
これは金沢の隣接する5つの町、
「香林坊」「片町」「タテマチ」「柿木畠」「広坂」
が共同で町の活性化の為に企画したもので、
「KANAZAWA 5TOWN’S FESTA street dance contest」
というダンスコンテストであった。

この当時町が企画するダンスコンテストは無かったように記憶している。

もしかして?日本初となる町主催のダンスコンテスト。
そこに審査員及びゲストショーをする為に招聘(しょうへい)されたのである

このイベントは後に多くの著名ダンサーがチャレンジするコンテストに成長していく。

ざっと紹介すると、電撃チョモランマ隊、Repoll:FX(リポール・エフエックス)、XXX-LARGE(トリプルエクストララージ)など、地方のコンテストとは思えない豪華な顔ぶれが数多く参加するコンテストとなっていった。

しかしこの1999年に行われた最初のコンテストは、町も初めての開催であり、我々がいつも経験するダンスイベントとはちょっと違った感じであった。

そして第一回目の優勝賞金は「50万円」という高額!!
自分達が出たいぐらい(笑)であった。

 

この第一回目は金沢の町中に設置された2つの仮設舞台を使い、2日間に渡ってのコンテストが開催された。出演者も我々スパルタニック・ロッカーズのメンバーも2か所の会場を移動しながらパフォーマンスや審査を行う事となる。

 

さて、イベントに呼ばれるにあたり我々が1番驚いたのは、町からのリクエスト内容だった。

それは
「2日間でダンスショーケースを4回やって欲しい」
・・・という内容であった。

 

この辺りダンスを仕事にする人とダンス未経験者の間には、パフォーマンスの時間や内容などで大きく認識が異なると言える。

通常、ストリートダンスで言えばショーケースは4~5分ぐらいで作るのが一般的で、コンテストは2〜3分ぐらいである。

しかもゲストショーは通常1回のみが一般的である。

しかしこのイベントでは、なんと10分程度のショーケースを4回やってくれという、我々の常識から考えると凄いリクエスト!

音楽バンドなら(もちろん練習は必要だが)違う楽曲を4回に分けて演奏することはそこまで大変ではないかと思うが、ストリートダンスのチームが2日間で4回のショーをしかも審査直前と審査直後にやるというのはかなり大変な内容であった。

 

先方からは同じ内容でもいいという話があったと思う。

しかし、当時の我々はまだ若く(俺は既に30歳だったが)、

アホで、
しかも意地っ張りであった。

なので、この無理な?リクエストに4回とも違うショーケースをやってやろうじゃないかと思ってしまったのである。
めちゃめちゃ大げさに言えば、
世界初の難題にチャレンジしてしまったのである!

無理なリクエストに答えて、実際にそれが出来てしまうと、それが当たり前になってしまう。要するに、この決断は後々自分達の首を絞めることとなるのである(笑)


しかし、この時の俺たちは、良くも悪くもイケイケだった(笑)

 

韓国バトル後に合流したトモを入れても4人の俺たちは、このハードなリクエストに応えるべく鬼の練習が始まってしまうのである。

 

チームに新たに入ることになったTOMOはいきなりこの鬼練に巻き込まれていくのである(笑)

 

「とにかく振り付けを覚えるのに必死だったと思います。
ソロのことまで考える余裕はあまりありませんでした。
それまではほぼソロのことだけ考えていればよかったのですが、その辺が、今までと全く違っていましたし新鮮でした。」
・・・と当時を振り返る。

 

金沢は現在、全国的に見ても卓越したテクニックを持つB-Boyがいる町である。

例えばSHOSEIや SYOYA 、HIRO10などの若手達の勢いは物凄い!

なんでこの北陸の町にこんなに優秀なB-Boy達が多いか疑問に思う人もいると思う。

その理由の1つは、この第一回のコンテストの後、10年程の間、我々Spartanic Rockers がゲスト審査員としてこの毎回このダンスコンテストに呼んでいただいていたからである。

金沢のダンスシーン、特にB-Boyシーンにかなり大きな影響を与えた事は想像に難くない。

 

後に「AIR REAL」というチームでUK B-BOY をはじめ海外の大会でも実績を残してきた真澄(現STUDIO AION代表)も現場にいたが、まだブレイクを始めていなかったらしい。

 

金沢を代表するブレイクチームであったSASUKEのMARKは16歳。ようやくダンスを始めた頃であった。

そんな彼らもブレイクにどっぷり浸かっていくのである!

金沢が地元で、一時期大阪でブレイクのチームAIR GROOVE CREW に在籍していたB-Boy Actionに、当時の様子を聞いてみた。


以下B-Boy Action 談

丁度私が最後のジャパン・ダンスディライト(99年8月)が終わって、実家の金沢に帰って間もなくに第1回5TOWN(99年10月)が開催されました。

それもあって大阪で親交のあった4STEP SETが力試しということでチャレンジしにやって来ました。

当時の5TOWNは2日間に渡り行われていて、初日に予選、2日目が予選通過チームによる本戦という内容でした。

地元石川だけでなく富山や福井など、多くの北陸のダンスチームが参加していましたが、当時後進地域だった北陸は正直力のあるダンスチームは皆無に等しく『ストリートダンス』そのものをちゃんと理解すらされていないレベルでした。

そんな中で本格的なB-GIRL CREWである「4STEP SET」は明らかに頭1つ抜き出てる存在で、貫禄すら感じられるパフォーマンスで優勝を勝ち取っていきました。

優勝賞金50万円をゲットしたのは当時ではかなり珍しい大阪のB-GIRL TEAM 4Step Set でした。

 

彼女達の活躍がその後の『SASUKE』の山ピー、現在東京で活躍中のミハルへと受け継がれていったように思います。

また、スパルタニックロッカーズの皆さんが、毎回ゲストで来て頂いた事も、その後の北陸のB-BOYシーンに大きく影響されたのではないかと思います。


さて、この5TOWNS STREET DANCE CONTEST。

17年間毎年開催されていたが、残念ながら近年は実施されておりませんでした。

俺は、この地域に毎年のように呼んでいただいた事への感謝の念から、なんとか復活できないか地元ダンサー達に復興運動の呼びかけを始めていた。

そんな折、偶然にも自分の活動とは全く別に、やはり地元の方々からも復活を望む声が上がってきておりました。

 

やはりそれだけ地元に根差した、大切なイベントであったのだと思います。

 

そんな地元の皆さんの復活を望む声に応えて、なんと来年(2020年)復活する事にになりました!!

 

素晴らしい!

 

金沢だけでなく、北陸のダンスシーンを育て、つないでいくのに大切なこのイベント!

復活後も息長く、ずっと続いてい行ってほしいなと心から願っています!!

北陸の皆様!一緒に盛り上がって行きましょう!!!!

End of This Story
To Be Continued


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大混乱のバトル! Spartanic Rockers Story Vol.056

Spartanic Rockers Story 一つ後のぺージ

BOTY1999 Spartanic Rockers Story Vol.058