俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.045
行きも事件! 帰りも事件!!
Spartanic Rockersにとってとても大事なストーリー。
スイスメンバーのRemy とMonty の初来日!!!
実はSpartanic Story で、この大切な一節が抜けてしまっていたので、話は前後するが、今回は彼らの初来日の話を書いておきます。
時期は1998年の7月末。UK B-BOY CHAMPIONSHIPS で優勝する前で、このストーリー上の時系列で言うと、vol.019とvol.020 の間になります。
さて、このスイスメンバーの初来日。
目的は特になく、我々との親交を深めるためであった。
*トップの写真 / 左:Remy(レミー) 右:Monty(モンティ)
Remyは身長185cm、Montyはなんと195cmで体重も100kg近い巨体。
2人ともこの巨体ながら、パワームーヴを難なくこなす。
しかし、スイス出国からいきなり事件勃発。
モンティは間違えて奥さんのパスポートをもって空港へ来てしまった。
そして、出国審査でパスポートを係官に見せるまで全く気付かなかったらしい(笑)
審査場でパスポートを開いて驚愕!
ところがこの国は非常に対応がフレキシブル。
パスポートの代わりになる書類をその場で発行してくれて、無事に来日を果たした。
当時の俺はまだ実家住まい。
もともと祖母が使っていた部屋があり、もう亡くなってしまって部屋が空いていたのでここに約1週間滞在してもらう事となった。
この時は自分もかなり忙しかった思い出がある。
出来る限り彼らと過ごしてはいたが、俺がスタジオの仕事などで忙しい時は他のメンツに同行してもらっていた。
本当にどうでもいい話ですが、記憶に残っている思い出を一つ。
ある時、俺が仕事のためJOとツヨシの2人にスイスメンバーの同行を頼んだ事があった。
レミーとモンティがスニーカーを見たいというので、靴屋さんを何件か回ってみたらしい。
靴屋を見て回ったレミーたちは、どこの店も同じようなラインナップだねという事を言ったようだ。
確かに、ヨーロッパの靴屋さんを見てみると、大手チェーンは別として、どこの靴屋も独自のスタイルやラインナップがあり、各店特徴がある。
ところが日本の靴屋さんはどこに行ってもだいたい同じ品ぞろえだ。
そこで、レミーとモンティはJOとツヨシに、「どこも同じ靴ばかりだね。」と英語で伝えたらし。英語が全く分からない2人はこの時彼らが言った「SAME=同じ」という単語も分からなかった。
今みたいにスマートフォンがあればすぐに調べられるのだが、当時はそれも不可能であった。そこで彼ら2人は必死に考えて、「SAME=紳士用」という訳の分からな答えを出したのである(笑)。
要するに、スニーカーではなくて、革靴が欲しいのではないかと勘違いしたらしい。言葉が分からなくてもある程度は身振り手振りでなんとかなるが、やっぱり全く分からないと難しいものである。
買い物の後、俺が作業をしていたスタジオ・フェイスにやってきた4人。
JOから聞いたこのセームシューズストーリーはよく覚えている。
「SAME って何ですか?」(笑)
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スイス言葉 豆知識
スパルタニックに入る前は全く知らなかったんだが、スイスとは4つの言語を話す地域に分かれている。
4つの言葉とは、ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語である。
ロマンシュ語とは、この地域独特のネイティヴな言葉の様で、使っている人口はなんと全体の0.5%程度しかいないらしい。
スイスで公用語として一番使われている言語はドイツ語。
スパルタニック・ロッカーズが拠点としているのはスイスの首都、ベルンという街で、ここもドイツ語圏である。
スイス訛りという事で、スイスにしかない言葉も多少ある。
このようなスイス独特のドイツ語は、一般的にスイス・ジャーマンと呼ばれている。
スイスで使われている言語は言語学的には同じカテゴリという事と、学校教育のおかげで、ほとんどのスイス人はフランス語と英語も理解できる。
俺はドイツ語が全く分からないので、メンバー間のコミュニケーションは英語でされていた。
99年にBattle of The Year で訪れた旧東ドイツの町では、お店によっては、なんと、「ワン」とか「ツー」といった言葉すら通じなかった。これには俺も本当に驚いた。
世界では、その国や地域の言語しか理解しない人達もたくさんいる。
国際社会である日本がいまだにその状況であるという事はちょっと嘆かわしい。日本の教育システムは大幅に改善の必要があると思われる。
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豪は俺達にくっついて家にやってくると、その後、後半の3,4日間は俺の家に泊まっていた。家で何をしていたか聞いてみると、ずっと俺のダンスのビデオを一緒に見ていたらしい。
ちなみに俺がファンだった極真空手のドキュメント映画で「ウィリー・ウイリアムス」が熊と戦うシーンを見せたところ、驚き、喜んで、テレビ画面をビデオに録画していた。(笑)
さて、この初来日の時我々は当時新宿にあったHI TIME(ハイタイム)というクラブのショーに出る事になった。
なので、夜は例によってチームの深夜練習である。
深夜練習を数日間やって、この時のためのショーを完成させた俺達。
多分けっこう練習不足だったんだと思う。
ショーの完成度はすいませんが、結構低いです!
豪と佐久間さんのロックの合わせでは佐久間さんは完全にルーティーンを忘れて立ちんぼ(笑)
それでもチームにとっては楽しい時間で会った。
そして何故かこの時ツヨシがいない。
なんでいなかったかその理由は覚えていない。
全ての工程を終えて帰国の日。
俺はレミー、モンティと、豪を車に乗せて成田空港へ!
ところが、帰りもまた事件勃発!!
事故かなにかで成田行きの高速が超混んでいて車が全く進まない。
結果飛行機には乗れずじまいで、彼らは日本に残ることになった!
そろそろホームシックにかかっていたモンティは相当嘆いていた(笑)
その日の深夜もチーム練習があった俺達。
俺と一緒に再びスタジオに登場したレミーとモンティを見て残りのメンバーはびっくり。
いつも一筋縄ではいかないスパルタニックのストーリー。
結局2日後のフライトを押さえて2人は無事(?)帰国の途についたのであった。
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Remy & Monty 初めての日本の思い出
日本は物凄い暑さで、死にそうだった!
電車も地下鉄も、日本語の表示しかなくて何が何だかわからなくて困った。
地下鉄に乗れば、俺達は全部の乗客より頭一つ出てた。
フットロッカー(スニーカーショップ)に行っても、自分たちの足が大きすぎて、サイズが合うスニーカーを見つけるのは至難の業だった。
練習の後の見に行ったバーでは、知らない客と腕相撲した
(俺の)車で移動中BMW X5を初めて見て窓越しに話しかけた。
横浜のラーメン博物館はお勧め!(面白いから、ラーメン博物館に連れていったら、そのネーミングや存在自体にかなりウケてた。)
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End of The Spartanic Rockers Story Vol.045
To be continued
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