俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.017
2人だけの挑戦!!
初のヨーロッパツアーからの帰国後、Battle Of The Year(バトル・オブ・ザ・イヤー) への出場許可をもらった俺は、来るべき大会に向けて練習に励む毎日を送っていた。そんな俺の元に、突然レミーからショッキングな知らせが届いた。
「タケオ、トーマスからスパルタニックはBattle Of The Yearに出れないという連絡が来たよ!」
「え!」状況が分からぬ俺は、レミーから届いたメールを読み進める。
内容はかいつまんで話すとこういう事だ。
当時Battle Of The Year(以下BOTY)は既にヨーロッパ各国で予選大会を実施するようになっていた。
そして、俺達Spartanic Rockersの発祥の地、スイスでもBOTYの予選をやる事になった。
スイス人がスイスの予選に出ないで決勝に出るのは不公平だから、スパルタニックロッカーズの決勝進出という話しはなくなったという事であった。
Ohhhhh!!
なんとショックなニュース。
せっかく出れると思っていた世界規模の大会に出れないだって!!
正に、「ガーン」っていう感じだ。
しかもスイスの予選は6月に行われるという。
4月にスイスに行ったばかりの俺達には、金銭的にも日程的にも再びスイスに行くのはとても無理な相談だった。
しかし、SpartanicとしてBOTYにはどうしても出たかった。
レミーからのメールを見て考えに考えた俺は、こういう返信をした。
「理由は分かった。じゃ、大変だけどスイス人だけでスイスの予選に出てくれないか?」
スイス人だけ。
そう、当時のスパルタニックロッカーズで現役としてBreakin’を続けていたのはモンティーとレミーの2人だけ。
2人だけでの予選参加を敢えてお願いした訳だ。
レミーからは予想通りの返事が返ってきた
「スイス人だけだって?2人で予選通過なんて無理に決まってる!!」
しかし、Spartanic Rockers 全員でのBOTY参加を強く希望していた俺は説得をあきらめなかった。
しつこく繰り返される俺からの説得と、俺の真剣な気持ちに負けたレミーは、たった2人だけでの予選出場を承諾し、モンティも説得してくれた。そして、トーマスに、もし2人でスイスの予選を通過した場合は、日本人のメンバーも一緒に決勝に参加してもいいという許可ももらった。
スイス、オリジナルスパルタニックロッカーズのメンバー、レミーとモンティ2人だけの練習がはじまった。俺達日本人の熱い思いを背に、一度は絶対無理だといった大会への挑戦が始まったのだ。
今まで、彼らもこんな気持ちでBreakin’に臨んだことは無かったであろう。2人は俺達が一緒にアーヴァンスキルに出た時に使った曲、ディスココネクションを2人のショーで使おうと決めた。楽曲を探したがどうしても見つからなかったというので、俺はこの曲をテープとMDに取って航空便で送ってあげた。この当時、まだ一般家庭レベルで音楽をCDに焼くというハードは普及していなかったし、当然ながら音楽をネットで送るなどというすべは存在していなかった。
1か月程度しかない期間の練習を経て
レミーとモンティー、
スイスのスパルタニックロッカーズは
BOTYスイス予選の舞台に立つ。
たった2人で!!
結果は・・・ 残念ながら予選落ちとなった。
だいぶ後になってからではあるが、彼らが予選に参加した時のビデオを見せてもらった。
Spartanicの看板をかけて舞台に上がる2人。
俺達とショーを行った影響からか、たった2人ではあるが、しっかりと構成された立派なショーであった。そんな彼らのパフォーマンスのビデオを見た時、俺は彼らの頑張った姿勢にとても感動した。
今まで「ルーティーンはつまらない」と言ってソロ回しのショーしかやったことがなかった2人が、大会への出場をかけて、彼らなりに精いっぱいのショーを作ってステージに立ったのだ。
結果は残念なものだったが、彼らのその姿勢には本当に感謝したし、とても尊敬できるものだと思った。
しかしながら、俺たちがスパルタニックロッカーズとしてBattle of The Year に出演するという夢は閉ざされてしまった。
End of The Spartanic Rockers Story Vol.017
To be continued
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