俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.016
サラリーマンB-Boyの決意!
スイスでの国際大会、Urban Skill で準優勝の実績を残し、ドイツの国際大会、Battle Of The Year への出場を決めて、意気揚々と帰国した自分であったが、日本に帰ると日常生活が待っている。
当時サラリーマンとしてソフト会社に勤務していた俺は、今回のヨーロッパツアーも有給休暇での渡航であった。そんな俺の日常生活は、サラリーマンとしての仕事もあったため、寝る間を惜しんで練習に臨むしかなかった。当時の俺にとって「人生=ブレイキング」であった。仕事も、恋愛も、いろいろあったが、全ては2の次だった。
朝は6時に起きて筋力トレーニングをし、シャワーを浴びてから、練習道具を持って会社に向った。会社が終ると寸暇を惜しんで練習に向かった。送別会だ、残業だと様々な会社のスケジュールをこなしながらも、僅かでも時間があれば欠かさず練習を行なった。会社の飲み会がある時はビールの量を減らしてあまリ酔わないようにした。ブレイクは、特にパワームーヴは酒に酔っていたら全くできない。平衡感覚がとても大切なのである。
1人で体育館で練習する時は、練習途中によく壁にもたれて仮眠をとった。それもたった30秒ほどの短い時間だけである。例えば、へッドスピンを全力でまわり、終った直後に壁にもたれかけて30秒だけ寝るのだ。
寝るというか、寝てしまうのだ。
そしてまたすぐに起きて練習を繰りかえすという状態。はたから見ている人は俺が寝ている事に気付いていなかったであろう。それほど俺の毎日は睡眠と体力不足でいっぱいっぱいであった。だから俺は酒が入ると瞬時に寝れた。上司の部長と常務と3人で飲んでいる時も、会社の仲間と合コン中でも俺はすぐに寝てしまった(笑)。
「ちょっと合コン中に寝るってどういうこと!!」と、女の子からの評判は最悪だった(笑)
でも当時の俺には合コンなんてある意味どうでもよかった。
酒を飲むと、眠いとか考える間もなく、気づくと寝てしまう、そんな毎日であった。
実はこの頃、赤坂のスタジオフェイスは既にスタートしていた。今だから言えるが、これはもちろん会社には内緒でスタジオ運営の仕事もしていたのだ。
仲間と始めた事なので、自分だけが仕事をしていたわけではなかったが、それでもなんだかんだとやる事は山積だった。スタジオの作業もそれなりに大変だったが、いい事は、レッスンが終わってから夜中の時間は自分の練習タイムに出来る事だった。忙しい毎日、会社もスタジオもある中で、夜遅くに自由に練習できる場所があるのはかなり嬉しい事だった。だから俺は毎日ではないにしろ、夜の時間(といっても23時以降ぐらいであったが)をスタジオでの練習に費やしていた。
これでは当然寝不足になる訳だ。
その頃の自分には、人生の9割がB-Boyのためと言っても過言ではなかった。それが、体力的に限界な、こんなつらい生活を続けさせてくれる原動力となっていた。
「昔ダンスをやってたんだよね」
「俺も昔ブレイクやってたんだよね」
・・・そんな話を、知らない人との会話の中で今までも何回も聞いてきた。当時Breakin’は(日本で言うところの「ブレイクダンス」)メディアでも多く取り上げられていた。
ストリートダンスはマイケルジャクソンのバックスライド(通称ムーンウォークだが、本当の呼び名はバックスライド)ともあいまって、一大ブームとなったわけだ。当時はメディアの影響で。バックスライドに挑戦したことがある人も、バックスピン(背中で回るBreakin’の技)に挑戦したことがある人も、山ほどいただろう。
そんな連中の中の1人が、飲んだ席でちょっと気が大きくなって
「俺も昔ブレイクダンスやってたんだよね」みたいに話しても、
俺が年とってBreakin’をやめた後に「俺も昔Breakin’やってたんだよね」
と話しても、聞こえてくる言葉は一緒だ。
その言葉を聞いている人にとっては、言っている人がどれだけブレイクに真剣に向き合っていたかなんて分かりやしない。
全く冗談じゃない!
俺はある意味人生の全てを、命がけでBreakin’につぎ込んで、寝る間も惜しんで練習してんだ。
そんな俺のBreakin’と、ノリでほんのちょっとかじっただけの奴の飲み屋の酒の肴が一緒になるなんて考えただけでもぞっとする!!
そこで俺は考えた。
そんな、飲み屋の与太話と一緒にならない、誰も覆すことの出来ない、俺がBreakin’をやってきた証を残しておきたいと。
その証として俺が考えたのが、なんと、海外で行われている世界規模の大会での「優勝」であった。
これなら、確実に誰も真似出来ない。
飲み屋で「俺、世界大会で優勝したんだよね」なんて言える奴は、本物かよっぽどの大ぼら吹き以外にはありえないだろう。
そう思った俺は、ドイツのBOTYでの優勝を真剣に考え出したのだった。
スイスからの帰国後、日本人初の大会優勝を目指して、練習に明け暮れるある日、スイスのメンバーRemyから突然ショッキングなメールが届いた。
「タケオ、トーマスからスパルタニックはBOTYに出れないという連絡が来た!」
End of The Spartanic Rockers Story Vol.016
To be continued
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