突然のニューヨーク! Spartanic Rockers Story Vol.002

突然のニューヨーク!!

俺たちSpartanic Rockersの
波乱万丈な Story vol.2


ここで「Spartanic Rockers=スパルタニック ロッカーズ」について簡単に説明しておこう。

日本人メンバーでの活動で有名になったので、日本のチームと思っている人も多いが、このブレイキングチームは 1986年、「DEF ICE(デフ・アイス)/本名:Andreas Thommen(アンドレアス・トーメン」という人物によってスイスの首都ベルンという町に作られたチームだ。

Def Ice:スパルタニックロッカーズ創始者

1983年に公開された映画「フラッシュダンス」の影響からヨーロッパをはじめ世界にB-Boyカルチャーが広がり始めたB-Boy創世期である。

 

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注釈)B-Boy

一般的にブレイクダンスと呼ばれるダンスジャンル。B-Boying(ビーボーイング)、Breakin’(ブレイキン、ブレイキング)等の呼び名が正式である。

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Breakin’とは、本来他者と競い合って、どっちの技が凄いのか、どっちがカッコイイかを バトルで決める競技性の高いダンスである。

「スパルタニック」の名前は、ギリシャ時代に最強の陸軍を擁した国「スパルタ」に由来する。つまり、バトル(戦闘)で常に勝利を納めるダンサー=ロッカー(戦士)、それがスパルタニック・ロッカーズ(スパルタの戦士=最強のダンサー)という意味でつけられている。

 

このスパルタニック・ロッカーズは創設以来若干のメンバーチェンジはされてきたものの、ほぼオリジナルのメンバーのみで長年守られてきたチームである。
そしてスイスメンバーの中では最後にこのチームに入った人物、Remy(レミー)によってスパルタニックのWEBサイトが管理、運営されていた。
Remyは、化学系の大学院に通うインテリB-Boyだったから、インターネット黎明期からWEBサイトの運営が出来たのではないかと思う。
ちなみにSpartanic Rockers のWEBサイトはブレイクダンスのWEBページとしては世界で最も古いページである。(www.spartanicrockers.com/)
俺が送った一通のたわいもないメールは海を越えて、遥か遠い空の下、スイスのスパルタニックのメンバー、レミーの元に届けられた。

 

ここから2人のメールのやり取りが始まった。

 

ブレイク事情に関わらず、お互いの国の気候や生活、政治や経済の情報に至るまで、2人のメールの内容は非常に多岐に渡っていた。
1997年の春ごろメール交換を始めたレミーと俺の間には、似たような物の考え方や頻繁に交換するメールのお陰で、ブレイクを越えた友情が芽生えていた。

 

レミーからこんなメールが届いたのは確か6月も終わりに近づいたある日だった。

 

「What’s Up Takeo。俺達スパルタニックのメンバーはN.Y.で行われるロック・ステディ のアニバーサリーパーティーに行こうと思うんだけど、おまえも来ないかい?」
ロック・ステディ・クルーとは、映画フラッシュダンスのワンシーンに登場したことで世界にブレイクダンスを広めるきっかけを作った、B-BOYのパイオニア的グループ。年に1度、彼らの発祥地であるN.Y.でアニバーサリーパーティーが行われている

 

正直誘われた当初はあまり気乗りがしなかった。
アメリカには、というかN.Y.にはもう何度か行ったことがあったし、95年には一度このアニバーサリーパーティーにも遊びに行った経験がある。
確かにロックステディのオリジナルメンバーや、過去に活躍していた人物(ニューヨークシティーブレイカーズの面々など)に会えたのはとても嬉しかったが、なによりも13時間も飛行機に乗らなければいけない事が俺にとって最大の苦痛であった。
もしレミーにしつこいぐらいに誘われなければ、この時俺はN.Y.へ行くことはなかっただろう。

 

だが、幸運なことにレミーは俺を誘う事をあきらめなかった。

 

何回か誘いを受けるうちに、俺の中で「レミーやスパルタニックのメンバーに直接会ってみたい」という気持ちが生まれ、どんどん大きくなっていった。
突然心変わりした俺は、当時勤めていた会社の真横にあった旅行代理店に飛び込んだ。既にアニバーサリーパーティー まであと2週間を切っていた。

 

突然のN.Y.行き。

 

会社のほうは首尾よく休暇をとった。一人で行くのも寂しいので、スタジオフェイスの生徒で、後にメンバーとして一緒に活動することになる佐久間さんの弟子としてがんばっていたケイ君を何げなく誘ったら、奴ものって来たので、2人でのN.Y.行きとなった。
ちなみにケイ君はこれが初めての海外であり、その後もスパルタニックの海外遠征に同行する事になるが、ダンスはブレイクダンスではなく、Lockin’(ロックダンス)を中心に練習していたので、ちょっと不思議な組み合わせによる旅であった。

 

End of The Spartanic Rockers Story Vol.2

To be continued


http://s-faith.com/miyatatakeo/spartanic-story/spartanic-story-v001/

 

出会い Spartanic Rockers Story Vol.003